私は「純粋に頭の悪い人」はおらず「頭が悪く見える話し方をする人」がいるだけである、と思ってる
※個人的な持論であって、「私はこの前提で世界に接している」という話なのでこれが事実だと主張するつもりはありません。
の記事について思ったこと。
知恵とかIQの話ではなく敬意が大事
知的障害のようなハンデを抱えている人を除き、ガチで頭の悪い人というのはいないと思っている。少なくとも会話の際に大事なのは、頭の良しあしではなく「敬意」だと思ってる。
私はよく人に「馬鹿」だというけれどこれは「頭が悪い」という意味では使ってない。私は私の中で明確に「馬鹿」の定義があり、その定義に当てはまる人に対して馬鹿と言ってます。
というか下記のように厳しい基準で言えば「専門家以外はすべてバカ」になりますし、実際私は私がこの定義におけるバカであるということを忘れないようにしなければいけないと思っていますが私が他人について「馬鹿」という時は少し異なります。
私が他人に対して馬鹿という時は、「言及する相手に対して最低限の敬意すら持たない人」のことを指しています。相手が先に自分に対する敬意をないがしろにしてきたのだから、こちらも遠慮なく「馬鹿」と切り捨てるという意思表示をしてるだけです。
もっと言えば、「お前は私を馬鹿にしてる」ということを警告してるだけです。私は自分が馬鹿にされたと思わないときに相手に馬鹿ということはほとんどないつもりです。
敬意に似ているものとして「礼儀」がありますが、礼儀オンリーの人は気持ち悪く感じるので難しい…
この辺り人類の知恵というのはとてもよくできていて、人類は敬意がなくても敬意を示せるように「礼儀」という型を作り上げてきました。
挨拶とか敬語とか、その他もろもろのマナーですね。こういったものを使うことで一つ一つ頭を使わなくても相手に敬意を示すことができるという仕組みです。
ただ、こういうのも過ぎたるは猶及ばざるが如しというか、一度は意味を理解しなければだめなんだろうなと思います。特に言葉だけのネット空間においては「敬語」やら「挨拶」はむしろないほうが良いことも多い。
一時期「互助会」みたいなのがはやって、今ではTwitterの「プロ驚き屋」界隈のリプ欄でも見かけるのですが、特定の人が普通の事について大げさに騒ぎ立て、リプ欄で「〇〇さん、これはすごいですね!」って敬語でリプをつけるというサクラ行為が頻発しています。
あれめちゃくちゃ気持ち悪いですよね。
ああいうのを見せつけらえると文章オンリーかつ文字数が限られたコミュニケーションで「定型文によるやり取り」を強制されている構図は、もうその人というか人類そのものに対する敬意を欠いている気がしていて吐き気がします。
結論
「よくわからん。結局お前は何が言いたいんだ?」といわれそうなので本題ですが、結論は一番最初に書いた通りです。
頭がよく見えるためには敬意が大事。
じゃあ敬意って何ですかっていうと
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