「恨みをパワーにして本を書くのは良いが、恨みそのものを本に書いてはいけない」
私よりも容赦のないレビューがついてて泣いた・・・。
私に対しては勇ましくファイティングポーズ取ってたけど
これについては反論すら出来ないらしい。
ついにやきう民ですら三沢さんのことを「頭にアルミホイル巻いてる陰謀論者と同じ」ではないかと心配しだしてる・・・
それにしてもなぜこの人はいちいちこういう「気取った言い方」をするのだろう。「批判ばっかりだからAmazonレビュー見ない」「数字が全然上がってこないから売上を見ない」とかなぜ言えないのか。「いくつかの評価指標」よりも「売上とレビュー」のほうが手間かからないのに。
こういう風に彼は常に「ちょっとでも取り繕う」発言をして、無意識にちょっとずつ現実から目をそらそうとする。こういう「細かいごまかし」がいくつにも重なって、彼の現実認識は大きく歪んでいくのだから、普段から表現に気をつけた方がいいのに。
そりゃ普通にやきう民のお友達も心配するよね。
ここの表現もかなり怖い。「厳しい批判が来ている」=「自分が考えてるところにちゃんとリーチできてない」で解決して、批判とは一切向き合わないというすごい大技。
防衛機制によるリフレーミングの技術が練り上げられている・・・
ちなみに、「自分が考えているところ」なんてない。すでにレビューでは「心を病んでる人」から役に立たなかったと言われている。もう現実に存在しない空想のターゲットを求める段階になってしまっている。
当然ずばりその点を指摘されてしまう。
「裏取り」とはいったい・・・ウゴゴゴ。そしてやはり「あうひととあわないひとがいる」という論理を用いることで、自分側に問題があるという考え方をやはり否認する。
それほど詳しくない人からでもこう見えている、ということがわかったのはちょっとおもしろかった。まぁそりゃそうだよなあ。普段からいっつもエアリプで何かと戦ってるもんな。
前にいったでしょ。ほとんどのコミュ障(私含む)はだいたいこれなんだよ。自分が正しいと思ったらすぐ雑になって、そこから先は自分のいうことを理解しない相手を恨むようになるんだよ。自分がコミュニケーション下手なくせにコミュニケーションを改善しようとしない。これが真・コミュ障。
そして「で、でた~」。
三沢さん定番の「苦しくなったら話が噛み合ってないことにして、相手都合でノーゲームになったことにして死んでも自分の問題点は直視しない」戦法! 普段三沢さんは自分が全然人と話をかみ合わせる努力をしないもんだから、会話が噛み合ってるときに周りがどれだけ努力して三沢さんに合わせてくれているのかを想像すらしてない…噛み合わないと思ったら自分でもあわせる努力するんだよ! なんでそこ全部相手側の責任になってんだよ…
それにしても・・・
三沢さんの自業自得ではあるのだが、今のところ誰一人「三沢さんの本が役に立った」っていう人がいないの、さすがにかわいそうになってきた(こうやって親心出すから駄目)
3人目のレビューがめちゃくちゃ辛辣。
なんかこう・・・改めて思ったけど、私って他の人はどうかしらんけど三沢さんに対してはかなり優しいよね?
ここまで滅多打ちにせんでもええやろ・・・と思ってしまった。
私とかSさんへの恨みで本を書いてるから、読み手を不快にさせる→不快にさせるから厳しい言葉でレビューを書かれる
まぁでも本当に自業自得なんだよね。
改めて思うけれど、恨みをエネルギーにして頑張るのは良いと思うんだ。
でも、恨みをそのまんま本に書いちゃいけない。
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