15年前の記事「オタクは死んだ。 残ったのは非モテだけだ」からオタクとフェミの論争は一歩でも前に進んでいるのだろうか?

オタクはカジュアル化した。その結果として、迫害されなくなったオタク趣味を持つものは「ぬるオタ」としてぬるーくオタク趣味を楽しんでいる。一方、オタクでしかもキモかったのか、キモイがゆえにオタク趣味に走らざるを得なかったのか分からないが、とにかく迫害され続ける「キモオタ」たちは、誇りなんて持てない状態だ。
そういう意味では、確かに第一世代が思ったようなオタクはもういなくなってる。
「ぬるオタ」には「プチクリ」するほどの情熱はないし、「キモオタ」にとっては「プチクリ」じゃ気分は晴れないから。だって問題は「自分が好きなことを好きだと表明すると差別される」ってことよりも、彼がキモイことにあるんだもの。
オタク趣味は認められるようになった。そしてオタクは死んだ。
残ったのは非モテだけだ。

この認識をフェミ、オタクお互いに獲得できなかった(うすうす分かっているがゆえに拒否し続けた)のがこの15年間だったのかもしれない。


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