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なぜ墨東公安委員会さんは執拗にオタクたたきを繰り返してしまうのか。墨東公安委員会さんのオタク観を推測する

この人本当にブレないなー。
ちなみん、「なんでこの人はこんなにオタクたたきに固執するのか」がわかってない人が多いと思うので、それについて自分なりの見立てを書いておきます。

※はてブコメントについての応答はこちらに書いておきます。


ざっくりまとめ

・墨東公安員会さんが表現の自由は守りたいと思っていることは事実である。ここは間違いない。
・ただし、墨東公安委員会さんの考える表現の自由は「対国家・自民党・反安倍」に特化している。というよりも、彼が「病的なまでの自民党嫌いである」という前提を理解しないと、彼の言ってる「表現の自由」が理解しにくい。
・墨東公安委員会さんの主張する「表現の自由」は「対自民党」に特化しすぎた結果、両者が一体化してしまっている。そのため彼の中では自民党候補に味方するオタクは「表現の自由の敵の手下」になっている。
・墨東公安委員会さんは自分の考える「表現の自由」に固執するあまり、最近のSNSなどにおけるキャンセルカルチャーなどは見て見ぬふりをしている。
・こうした紆余曲折を経て、墨東公安委員会さんの頭の中では、墨東公安委員会さんは今でも表現の自由の味方であるし、萌え絵オタクは表現の自由の敵であるという独自の世界観が形成された。

というわけで早速説明していきますね。


墨東公安委員会さんの主張の立脚点は正しい

誤解してる人もいるようだけれど、 墨東先生は間違いなく表現の自由のことを大事だと思っていますよ。

ただし、「優先順位が違う」んです。オタクが自分たちの好きな表現を守ろうとするように、本業が学者である墨東公安委員会さんにとって 学者たちの表現の自由が何よりも大切なんです。そして、過去のいろいろな経緯から、墨東公安委員会さんは「自民党は、大衆には好き勝手言わせるが、学者に対しては表現の自由を封殺しようとしている」と考えています。

だから、墨東委員会さんは表現の自由を考える際に、まず国家権力から直接的な危機にさらされている「学者たちの表現の自由」を守る必要性を訴えたいんです。実をいうと、ここまでは私も同意しています。(NHKのトップ人事への介入や、学術会議への人事介入など、露骨なコントロールがあったのは皆さんも見てきたことだと思います)。

このように墨東公安委員会さんの問題意識や主張の立脚点は別に間違っていないんですよ。


ただね、墨東公安委員会さんは、自分の問題意識の表明の仕方が致命的に間違っている

それならそれで、「学者に対する政府の抑圧の危機」をストレートに訴えていくべきだと思います。

ところが、ツイッター上で墨東公安委員会さんの発言を見れば、ご存じの通り「オタクたたき」のウェイトがめちゃくちゃ高いんですね。そして、これによって無駄にオタクの敵愾心を引き寄せ、彼の本題とずれたところで戦い続けるという不毛なことをずっと繰り返しています。

端々の表現に現れているように、墨東公安委員会さんは人を見下しがちで、けんかっ早い性格なんでしょう。それがもろに災いしています。

一応墨東公安委員会さんのオタクたたきにも彼なりの理屈はあります


墨東公安委員会さんはいつも苛立ち気味にオタクを攻撃しています。これはこれでちゃんと彼なりの理由があります。

①墨東公安委員会さんから見たオタクはこんな感じ。

表現の自由で優先して守られるべきは、今最も危機的な状況にある学者のはずなのに、オタクたちが自分たちを一番目に優先しろと主張してる。これが許せないんですね。
気持ちはわかるけれどコロナ危機の時の平田オリザさんと同じ轍を踏んでる印象があります。


オタクにもわかりやすく言うとこんな感じです。

「進撃の巨人」で壁を破られて市民がみんなで逃げないといけないときに、金持ちが自分たちだけ通せとゴネて全体を危機に晒すシーンありましたよね。ミカサがキレるとこ。 墨東先生には、「表現の自由」の危機的な状況において、オタクの萌え絵だけを守ろうとしている「赤松健」はこういう存在に見えてるわけです。

「進撃の巨人」2巻

墨東公安委員会さんが、やたらと商業主義と搦めてオタクを批判するのは、まさしくオタクがそういうイメージで見えているからです。

なので墨東公安委員会さんにとっては、「赤松健」やその支持者たちというのは、己の欲望のために「表現の自由」全体を危機にさらす存在であり、殺しても構わないくらいの罪人なわけです

「進撃の巨人」2巻

墨東公安委員会さんは、自民党の脅威を強調しすぎるゆえに他の表現の危機は目に入ってない


墨東公安委員会さんには巨人である自民党しか見えてない。 だから何よりも巨人を倒すべきだと主張する。自民党の表現規制から国民を守るのが表現の自由だと思ってる。

さらにいうと、墨東先生は自分を調査兵団のミカサだと思いこんでいるから、まず何よりも学者である自分の表現の自由は一切妨げられるべきではないと考えている。

昔の左派ってこういう思想の人たくさんいましたし、墨東公安委員会さんのような考えの人は珍しくないです。

墨東公安委員会さんにとって、赤松健やそれを支持するオタクは「表現の自由」という言葉の意味を簒奪した極悪人である


さて、こういう表現の自由観を持っている墨東公安委員さんにとって、赤松や山田、そしてそれを支持するオタクがどういうふうに見えるか、みんなにはわかるかな?

そうだね。粛清対象だね。

だって、自分たちの掲げている真の表現の自由を簒奪する悪魔の手先だから。これも私の邪推じゃなくて、上の記事で墨東公安委員会さんが書いてることです。

つまりね、墨東公安委員会さんにとって赤松健やオタクたちって、単に表現の自由に反対するやつよりよほどたちが悪い存在なんですよ。

反対するだけなら議論もできるが、反対するんじゃなくて「我こそが表現の自由の代表者だ」という名乗って自分たちを主張を乗っ取ろうとしているからです。

進撃の巨人で言えばケニー・アッカーマン的なポジションだし、

「進撃の巨人」

もっとわかりやすく言えば、 プリコネでユースティアの地位を奪ったネカマさんですよ。

「プリンセス・コネクトRe:Dive」


事実はともあれ、墨東公安委員会さんにはそう見えちゃってるわけです。

だから、墨東公安委員会さんにとってはこいつらが表現の自由を口にすること自体許しがたいのです。


墨東公安委員会さんや新橋九段といった人たちが、赤松健やオタクたちを「表現の自由戦士」といって存在そのものを揶揄しようとする理由


このように墨東公安委員会さんや反自民な方々はやたらと表現の自由を主張するオタクを口汚く罵るよね。
これは仕方がないことなんです。

繰り返しになりますが、墨東公安委員会さんにとっては「やつらは真の敵である自民党の手先で、しかも自分たちにとって最も重要な武器である表現の自由を自分たちから奪おうとしてる」存在なのです。

だから、墨東先生は正義の心で「表現の自由戦士」という言葉を使う。


この言葉で墨東公安委員会さんや新橋九段が何を言いたいかというと「萌え豚どもの言ってる表現の自由ってのは偽物だ」「自民党と戦ってる俺たちこそが真の意味で表現の自由を守ろうとしてる存在なんだ」ってことです。


マジかよって思うかもしれませんが、本当です。


墨東公安委員会さんや新橋九段は、「赤松や山田は表現の自由の敵である自民党の手先だ!私達の表現の自由を骨抜きにしようとしてるんだ!騙されるな!奴らに票を渡したら表現の自由はむしろ失われる!」 と絶叫してるわけです。


目を覚ましてほしい!という気持ちを込めて善意でオタクたちに暴力をふるうわけですね。

「ブラックエンジェルズ」

二人ともめちゃくちゃ口が悪いですし、平気で人を傷つけるようなことを言いますが、二人とも自分のことを「真の悪と戦っている正義の味方」だと思い込んでいるから自分が悪いことをやってるとは全く思ってないんですよ。

繰り返しますが、これ読んで「そんなバカな」って思う人がいるかもしれないけど彼らは大マジです。


これ墨東公安委員会さんだけじゃなく、「アンチレドマツ」や「アンチ山田太郎」の人も全く同じこと言ってます。逆に私がこういう「アンチレドマツ」や「アンチ山田太郎」のイメージを墨東公安委員会さんに重ねてしまっているかもしれませんね……。


墨東公安委員会さんは自分でもオタクを名乗ってる通り、オタクそのものを敵視してるわけではない


特にエロに対しての忌避は全くないと思いますし、「表現の自由は守られて当然」くらいの考えです。表現規制とは一切関係がないです。

ただ、「オタクとかこうあるべき」が強すぎて、それにそぐわないオタクを善意で殴ってるという印象があります。本人も自らが「老害」オタクとみられている認識はあって、それでも自分が正しいと信じてるのだと思います。


というわけで、だいぶ墨東公安委員会さんの主張が理解できて来たと思います。

墨東公安委員会さんのいうことは「反自民党」という補助線がないと理解できないものだと思います。もはや彼にとっての「表現の自由」は反自民と完全に一体化してます。だから赤松や山田を認められるわけがないんです。
墨東公安委員会さんにとって、赤松や山田を支持するオタクは 騙された被害者であると同時に、敵の切り崩し工作に引っかかった愚か者であり、敵の尖兵なのです。


※繰り返しになりますが、墨東公安委員会さんは、他のアンチ赤松健やアンチ山田太郎と違い、オタク嫌悪ではありません。自らをオタクと称し、ラブライブやエロゲの話を隠さず語るくらいなのでオタクであることにはつよい矜持があるようです。
むしろいつぞやのたぬきさんみたいに「我こそは真のオタク」「オタクもどきは許さない」と思っており、その自意識に政治が絡んだことでねじれまくった形かもしれませんね。


追記:以下のように、「意識高い系厄介サブカルおじさんがたまたま学者をやってるだけ」という意見もあるようです。

墨東氏はtwilogの登録ユーザーであり2011年から現在までの思想の変化を体系的に確認することが可能です。例えば、秋葉原メイド喫茶の地域需要については以下のような考えでした。

なので、学者 VS オタクで読み解く視線にはちょっと違和感があったんですよね。オールドオタク vs 今風のオタクというのもちょっとピンとこなくて、氏はあの年代では少数派の「エヴァにハマらなかったオタク」なんですよね。マイノリティとしての確固たる自分を持ち他人に流されないオタク像にかなり重点をおくタイプだと思いますよ。そこに反する他人に流されるタイプには概ね批判的です
なので、大衆の注目を集めるチンドン屋とそこに流される多数派のオタクという表現は、氏の世界観をよく表していると感じています。(品質が悪いのではなく、そこが核心なんじゃないかなぁ……)

これはこれで納得いくものだったので紹介しておきます。こちらも参考にしてください。

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