自分が法に近い立場としてふるまおうとするものは「商鞅」の故事を省みた方が良いと思う

「この指止めよう」がらみの茶番を目にするたびに、私は「商鞅」のエピソードを思い出す。

私はこのエピソードを初めて読んだのが小学生の時なのだが、(小学館の学習漫画「中国の歴史」で読んだ)、めちゃくちゃ怖いと思って今でも覚えている。

姓は姫、氏は公孫。名は鞅。また、衛の公族系のために衛鞅(えいおう)ともいう。なお商鞅とは、後に秦の商・於に封じられたため商君鞅という意味の尊称である。法家思想を基に秦の国政改革を進め、後の秦の天下統一の礎を築いたが、性急な改革から自身は周囲の恨みを買い、逃亡・挙兵するも秦軍に攻められ戦死した。

無茶苦茶単純化すると、国のためにという建前で厳しいルールをどんどん作っていったら、最後にはそのルールに則って自分が殺されたという話です。


「この指止めよう」の主催者は、ルールを作る一番最初の段階ですでにルールに抵触して爆死というギャグだったのですが、あそこまで頭が悪くなくても、「他人にルールを強要するのであれば、まず自分だけがそのルールを運用するわけじゃなく、他人もそのルールによって自分を裁くことになる」ということはよく考えておくべきです。


にも関わらず、ここに考えが及んでないと思われるケースというのが多々見受けられます。特にリベラルとかリベラルとかリベラル側にそういう人が多いと感じます。

なぜかわからないんですが「自分を無謬の存在だと本気で思っているとしか思えないくらいガリガリに厳しい基準やきわどい理屈で他人を攻撃する」。そして、その理屈で自分が攻撃されると知らんぷりする。


そういうことをやったら、他ならぬ自分が提示したルールによって自分が殺される、ということをこの故事から学んでほしいなと思います。


あとはおまけです。


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