呉座先生問題

呉座先生は女性に関しては保守的・反動的だったからというより、彼のリベラルな価値規範の中で「筋が通っている頭のいい議論」に見えたからこそ、アンチフェミクラスタにはまってしまったと理解される必要がある。問題は、ではなぜ不幸にも「筋が通っている」ように見えてしまったのかという点にある
呉座氏がつるんでいたのは「リベラル」ではなくネオリベラリズムで権威主義な方々では。

正しいかどうかは知らないが、検証する価値はあると思う。というかこの可能性を無視して、今回の件を男女問題に回収させようとする人たちが普通にキモイ。



つまり、呉座先生問題は、男女問題として理解するのではなく「いわゆる京都人が、京都人以外すべてを見下している的なサムシング」として理解した方が良いのではないか?

一般人は横軸でものをみるが、学者様という上流階級の人間になれば、どちらかというと縦軸でものをみるということかもしれない。

単に若造が気に入らないから男女問わずいじめる人なんかゴロゴロおるでしょ。〇北大学が有名だけれど、大学なんてアカハラ・パワハラが横行しまくってるんだから、そのサバイバーが同じように若手に対してパワハラをかましたっていう構図で考える方が先だと思うのに、さえぼう先生本人はともかくとして周りの人間が男女問題に回収しようとしてんの普通にうざい。

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