汐街コナさんについて(再掲)

令和になってまた汐街コナさんを見かけるとは……

昨日書いた通り、もう表現規制問題についてそこまでコミットするつもりもないし、ましてやこの人についてわざわざ新たに何かを書くつもりはないので、過去に書いた記事を再掲してしておきます。


汐街コナさんという人物について

汐街コナさんという人は、「オタクの表現は原罪を抱えているから目立たないように大人しくしていなければいけない。そうしなければ表現がつぶされてしまう」という前提で話をされる傾向があります。いわゆるオールドオタク、腐女子界隈の常識を内面化してしまい、そのまま意識が凝り固まってる人だなあという印象を受けます

汐街コナさんを理解する際に差別やいじめ・ハラスメント問題で重要な概念である「ハラッシーハラッサー」という言葉を知っておきたい

差別というのは「差別する人とされる人」以外にもう一つ重要な登場人物が存在します。それは「差別され続けているうちにそれを内面化し、被差別者でありながら差別に加担するようになった人」です。

これを「ハラッシーハラッサー」といいます。

「私はオタクだけど」と言いながらオタクを殴ったり、「広く表現の自由を守る」と言いながら気に入らないオタクの表現は規制しようと呼びかける人たちいますよね。あれはこの「ハラッシーハラッサー」という概念を使うと理解しやすいです。

こういう人たちは自分のことを被害者だと思ったまま、自分がされて嫌だった被害を他人に与える、という状態にあるわけですが、これは普遍的に起こります。自分にかかっている抑圧を他人に「転嫁」することで逃れようとする心理的作用です。こういう風にふるまえば、自分は抑圧されていないと感じられるのです。(実際は誰よりも抑圧を内面化している)

「傍観者」「第三者」よりも積極的に問題に切り込んだ概念であり、危険ではあると思いますが表現規制の問題だとこの概念は結構有用だと感じます。


汐街コナさんはハラッシーハラッサー的な立場から良かれと思って橋下徹さんと同じことを言ってる印象を受けます


汐街コナさんが悪い人とは思いません。ただ、主張してる内容は割とEVILだと思います。

コナさんの主張は端的にまとめると「おとなしく降伏していればそんなに被害は出ない」「目立たないようにしていればたたかれることもない」というものですが、これって橋下徹さんと同じこと言ってないですか?って思うんですよ。

橋下徹さんのようにどこにでも逃げられる場所があるならそれでもいいでしょう。汐街コナさんのようにエログロを描いてない人ならそれでもいいでしょう。

自分を中心に考えてそういう選択肢をとること自体は自由だと思います。でも、それを自分以外の人間にとっても当然の答えとして主張しだすと話は別で、「よく言えば鈍感で無神経。悪く言えば自己中心的なEVILクソ野郎」になってしまう。

汐街コナさんが言うほど実際はゾーニングや自粛というのはそんなに甘いものではありません


※これは私の意見ではなく、ベテランの腐女子の方による意見です。

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