結局、「凡庸な悪」だったのは池江さんを批判してた側の人間だったという話


たった1か月前には、「五輪への不参加表明をしなかった、五輪への積極的反対をしなかった」という理由だけで一人の人間を血祭りにあげてたよね。



さすがに「作為」ではなく「不作為」を責めるのはやりすぎだ。

あと、「不作為」を責めるほどの強い基準があったのであれば、それは相手が誰であれブレさせてはいけないと思う。


普通の人は、それがわかってるから、池江さんの時にそこまで厳しく批判しなかったわけだがあの時も「ヲポコのマンガ」を支持するときに「なぜこのマンガが批判されるのかわからない」ってしらばっくれたカスのように、「五輪に反対しないやつは非国民」くらいの勢いで噴きあがってる方が多くて、「こいつらいい感じで狂ってるな」と思ってました。



あの時に池江さんを批判した人はちゃんと自分の発言に責任取れるのかというと、当たり前ですがほとんどの人間は全然そんなことはしない。他の五輪参加を表明したり、五輪に反対しない人も批判すべきだし「あの時は言い過ぎだった。頭がどうかしていた。どうか許してほしい」と反省すべきだと思うけど誰もそういう反省をしない。



それどころか、「大坂なおみさん」になった瞬間に批判できないどころか、歴史改変をして自分の責任から逃れようとする。

さすがに面の皮が厚すぎると思います。



「凡庸な悪」というのは、よく考えずに流れに沿って池江選手を叩いておきながら、そして大坂なおみさんは批判できず、その自己矛盾に対して何の反省もない、「外的規範に盲従した人々」の方だと思う

第二次大戦中に起きたナチスによるユダヤ人迫害のような悪は、根源的・悪魔的なものではなく、思考や判断を停止し外的規範に盲従した人々によって行われた陳腐なものだが、表層的な悪であるからこそ、社会に蔓延し世界を荒廃させうる、という考え方。


さすがにこういうレベルの恥知らずぶりを発揮されると……


「お前その場の空気に流されてるだけで自分では何にも考えてないし自分の発言に何の責任も感じてないんやな。じゃあ最初からお前の発言には意味がないから黙ってろや」になります。

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