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感情に基づいた道徳には「身内びいき」や「部族主義」のバイアスが必然的に付きまとう

<strong>感情に基づいた道徳には「身内びいき」や「部族主義」のバイアスが必然的に付きまとう</strong>。狩猟採集民たちにとって他の集団は「敵」でしかなく、自分たちの集団の外にいる人たちについて道徳的に配慮する必要はまったくなかったから、わたしたちの道徳感情もそうなっている。

最近では、理性をあからさまに批判して感情や関係性の優位を説く、共感やケアに基づいたフェミニスト倫理学が注目されている。けれども、彼女たちの議論も、道徳感情に潜在する問題を無視した側面がある


昨今ではSNSの影響により、常識に反する議論ばかりを見聞して、幸福になりやすい生き方がわからなくなっている人もいるかもしれない。

『われわれ善き者ーわれわれこそが正しい者だ』。彼らが熱望するものを、彼らは報復とは呼ばずに〈正義の勝利〉と呼ぶ
フリードリヒ=ニーチェ

サピエンスたちは、意識的な偽善ではなく、無意識の偽善(=自己欺瞞)を進化させていった。かくして私たちの心は、社会的な動機で満たされるようになった。
このような「みんなのことを考えてない奴はシバくぞ」という規範意識が浸透したサピエンス社会の群れにおいて、たとえば"妬み"のような感情システムが進化上適応的なものとして発達していく。

「フェミニズム」が一定のラインから受け入れられにくくなってきている理由はまあこれだろうと思う

・身内びいきや部族主義のバイアスが露骨に強すぎる
・自分たちの感情を強調する一方で、他者の幸福度を下げるようなことを平気で言う。

少なくともインターネットにおいて、
フェミニズムはみんなのためのものじゃなくなってきているし、
最近は女性全体のためのものとも思えなくなってきている。

リンク先は言及はしないが、先日のfont-daさんの記事はかなり象徴的であった。

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