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小山田圭吾氏のガチのいじめとアンジャッシュの多目的トイレだったらガチのいじめの方が厳しく扱われる世の中であってほしい

小山田圭吾氏の件は全く知らないから、とりあえず他の人が書いてることをメモしておいて、自分では軽い感想程度を述べるにとどめる。正直この件で何か自分の経験や知識から意見を述べることはできない。


何にしろ、小山田圭吾のいじめに関するインタビューは、インタビュアーも含めて90年代サブカルの最悪の部分だろう。
当時は露悪的になろうとしてたサブカル空気があったの。ロマン優光さんが小山田圭吾のいじめ問題も含めて『90年代サブカルの呪い』って本で総括してるからみんな読んで。 

ここに書かれているような知識がないうちは、自分には十分なインプットがないという立場は忘れないようにしたい。



90年代サブカルは思ってる以上に腐ってたようですね……

障がい者をいじめていた学生時代を、サブカル誌「クイック・ジャパン」(太田出版)95年8月号の「いじめ紀行」で告白。
言語障害と決めてバカにしたり、段ボール箱に閉じ込めて粘着テープで縛り「黒板消しで『毒ガス攻撃だ!』ってパタパタやって」という行為を行ったりした小学生時代を告白。高校でも続き「みんなで脱がしてさ。(局部を)出すことなんて(Aさんにとって)別に何でもないことだからさ」と笑っていたことや「障害がある人とかって図書室にたまる」「きっと逃げ場所なんだけど」と認識しながら「みんなで見に行こう」と通ったこと、体育倉庫で「マットレス巻きにして殺しちゃった事件とかあったじゃないですか、そんなことやってたし、跳び箱の中に入れたり」と悪びれることなく明かしている。掲載当時、小山田氏は26歳。分別のつく成人が、ダウン症の生徒が通う特別支援学校を笑い話にしたり、本人いわく「朝鮮人」という男子へのいじめを悪びれることなく告白している。インタビューはAさんとの高校卒業式での会話で締めくくられた。進路を聞き「ボランティアをやりたい」と答えたAさんに対し、小山田氏は「おまえ、ボランティアされる側だろ」-。ほかにも排せつ物を食べさせたり、全裸にして性的虐待を加えたりしていたことを武勇伝的に語った雑誌もある。



マジかよと思ったらマジだったわ。

雑誌のインタービューによりますと、彼は、和光大学付属の小・中・高校時代に、いじめる側の生徒だったようです。


90年代のサブカルって今よりもはるかに非・倫理的でダウナーだったから。建前だけの優等生をぶっ飛ばせ!って感じで進んでいた。具体的に言えば「鬼畜系」のことで、とにかく本音主義で露悪的に振る舞うのがかっこいいとされていた。クスリの使い方を書いた雑誌が何万部も売れて自殺を推奨した本がミリオンセラー。明らかに統合失調症である人やホームレスの人のプライベートをルポした漫画が「笑えるもの」として流行っていたし、ゴミ置き場のゴミ袋を拾ってきて面白おかしく中身を見せたりしていた。とにかくあの時代って援助交際やエヴァンゲリオンが流行ってたことからもわかるように、ダウナーで破滅的な空気だったのよ。後輩いびりや弱者いびりが持ち味の松本人志がスターになったのもこの時代だし、お笑いといえば挙動がおかしい人間を出して「気持ち悪っ!」って言ってゲラゲラ笑うものだった。あとAV監督を新時代のアーティストかのように持ち上げ出したのもこの頃。とにかく非・倫理的なことをしていれば権威に反抗している=カッコいいと見られていた時代で、それに感化された若者が弱者いびりに精を出していた。オタク差別もその一環。小山田圭吾の発言もその流れに乗っていて、露悪的に振る舞うことが流行りだったからあの発言が出てきた。擁護するつもりはさらさらないけれど、そういう時代だったのよ、あの頃は。


60年代後半あたりから2000年代くらいまで、カウンターカルチャー、サブカルチャーとして「一般常識では明らかに悪いこととされていること」が本当に悪なのか? がずっと問い直され続けることとなった。その「悪いこと」の中に、現状の閉塞感をひっくり返す何かがあるのではないか、という考えだ。わりと無害な領域で言えば、大人のくせにアニメや特撮を観ること、エロいマンガを描いたり読んだりすること、などもその範疇に入る


思ってる以上に90年代のサブカルは「(学生闘争の)敗北者たちが、上には媚びながらより弱いものを叩く」というクソダサ状態だったと語られている

それが80年代から90年代に入ったあたりから、「弱者への暴力」もサブカルチャーにおいて肯定する風潮になって来た。理由はよくわからないが、普通に考えて、「強者への暴力」が反体制的な意味を帯びており、それがどうやら簡単には通用しないとわかって、おめおめと宗旨替えしたのであろう。

「弱者へ暴力をふるっていいんじゃないか」という変な問題提議は、ここで断言するが、60~70年代に「強者(権力)への暴力が、完全敗北したから」である。

吉本のお笑い芸人が、今となっては大阪維新の会にコビたり、知名度を利用してYouTubeで稼ぐことしか考えてないみたいになったのと同じか。正直もう漫才自体見るつもりもないし、関西の実家に戻った時にワイドショーを見るのも嫌。

さすがにこれと比べたらオタク趣味の方が無害なだけましっぽい。

「サブカル、語る。」のArrow1953氏とかは、やたらとオタクを見下したり、オタクの加害性を強調してたりしてたけど、お前の熱狂してた90年代サブカルの方がよっぽどひどいし加害性高いじぇねえか……


小山田圭吾さんは「センスのない人間が空気に合わせようとして無理をやった結果やりすぎた」パティーンなのか?


ため息が出る。90年代は、サブカル界隈では、60~70年代の学生運動の敗北から(自分たちがそのつもりがなくても)あがいていた。その「あがき」のひとつが90年代に連なる80年代の「面白主義」(主義主張や思想よりも面白さを優先する考え方)だったし、対象をからめ手でおちょくる「パロディ」だったわけだが、そこに「暴力性」が加わってくると、小山田圭吾の学生時代みたいなことに(残念ながら、一部では)なってしまったということは言える
早い話、小山田圭吾にいくら音楽的才能があるのか知らないが、「90年代鬼畜トーク」に関しては、彼にまったく才能がなかったということだし、その「才能のなさ」に気づいていたのかいないのか、煽った周囲もそうとうに罪は重いと思う。

これも悲しいことに、「語りの才能がない人が一生懸命その時代の空気に合わせよう、その空気の中でめだとうとした結果、一番ダメなことをやって、ダメなことを語って、悪目立ちしてしまった結果、時代が変わってもいじられ続ける」ということなのかもね。

完全にスベったわけだ。


時代の変わり目に入る前に、さっさと謝罪するなり自己批判するなりやっておけばよかったんじゃないかと思う。

私は小山田圭吾氏の現状は100%自業自得だと思うし、一切の同情の余地はないし、軽い気持ちで擁護してる東浩紀氏とかはカスだな、くらいには感じた。もちろん、実際の当時の空気も知らないし伝聞で読んでるだけだから感想以上の主張を私ができるはずはないのだが。



電気グルーヴの卓球、瀧の二人も、90年代にはよくいじめの話をしていた。後から入ったメンバー「まりん」をいじり倒していたし、学生時代のいじめについても面白おかしく語っていた。電気グルーヴは90年代の「いじめだってアリなんじゃないか?」という狂った雰囲気の中で、自身の線引きができていた。小山田圭吾はそこをまったくわかっておらず、調子こいてやや勇み足してしまった…と思っていた。

しかし、このたび小山田圭吾のいじめ経験についてのインタビューを読んで、「これは調子に乗って口を滑らしたわけではないな」と確信してしまった。

そういう時代だったんだよ、で擁護しきれないくらい邪悪である、と評価されてますね。



「既存の価値に抵抗するという流れからこういう露悪系がエスカレートして来た。ドラマもハッピーエンドが少ない。ウルトラマンも何かテーマを残して終わるものが多かった。こういうもがいっぱい出て来て今の社会がおかしくなったと思う」



吉田豪氏のように「あの頃はそういう時代だった」みたいなこという人は、自己否定になっても「あの頃」について今の自分の評価述べるべきだと思う。


この件について「あの頃はそういう時代だったんだ。」という整理をしてくれるのはとてもありがたい。


そして、当時の「俺たちの」文脈を理解してくれって気持ちもすごくよくわかる。繰り返しになるが、それ自体はありがたいことだと思う。


 ただ、そこで止まったら「で?」ってなる。

 当時の文脈はわかった。その上で今はどうなの?

・歴史と一緒で、今の文脈で評価するなと?当時の空気に流されてやったことだから特に謝らないけど許せと?

 ・それとも、「その時代だから許されていたけど今は許されないと思う」なのか?

どっち? 

具体的に「自分は今の小山田圭吾氏に対してどっちの立場なのか」まで明言してほしい。

サブカル界隈にいて、少なくとも当時はそれに乗っかってた人が、今になって「あの頃はそういう時代だった」と、特定の問題行為を「時代」のせいするのであれば個人の意見を表明するのは必須だろうと思う。

「自分も加担してたけどあれは良くないと今では思う」くらいは言ってほしい。

これヨッピーさんもそうなんだよね。

「広告業界ではこういう下ネタやセクハラめいた言動はよくあった」みたいなこと言っててドン引きした。

別に今になってヨッピーさんを責めたいという話ではなくて、じゃあ「そのころの文脈によって当時の行いを正当化するなら、今はちゃんとそれと切り離す宣言をしてくれ」ってことです。


いわゆる「ヴァイツゼッカー演説」的なものが必要だろうということです。


過去と決別したことを明示した上で、過去はこうだったというのは全然あり。でも過去とつながった上で、過去を語るのであれば、自分の立ち位置を明確にしましょうねってこと。

特に日本人は韓国からネチネチとずっとやられ続けていることもあって、「過去との決別」の困難さを民族レベルで思い知らされてる。明確に「私はあの過去から決別します」という宣言をするのは大事です。それができないなら「あの頃はそうだったんだから仕方ない」みたいなことは絶対にいっただだめだと思う。

でなければ、またそういう時代になったら同じことするかもしれないし、そもそもその当時の空気を引きずって温存しうるだけでも問題がある。

 明確に否定できないなら、サブカルの庭以外のところで仕事しないでほしい。 



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