イキりオタクと粋なオタク

「鯛のおかしらの後継者」「20代の時から老害と言われ続けたオタク」などの異名を持ち

伝説の「セクハラ発言」からの「即降参」ムーブで大勢のはてなブックマークの人間にも「こいつはヤバイ」と言わしめた伝説のイキりオタク。

はてなでイキりオタクと言えばお前やろといわれたあのお方がイキりオタクについて解説しださってて説得力が半端ない。


微妙に自分がイキりオタクである自覚があるのか、イキりオタクにかまう人にけん制するところとかもう好きすぎる。



直前のツイートこれなのにその直後に真顔で上みたいなことを書けるのが本当に素晴らしい。

その前のツイートこれやぞ


◇「イキる」とは何なのか?

なお、「イキりオタク」という言葉は「弱者男性」「繊細チンピラ」と違い、「動詞+名詞」で構成されています。

なので、「イキる」という言葉が持つ意味自体を明確化できれば割と客観性が高い言葉になります。

イキるとは、調子に乗ったりえらぶっていることを表します。日本語俗語辞書には「意気がるの略」と記載されています。もともと関西方面で使われていた方言が全国に広まったもののようです。

「自分から粋だと思って得意になる。粋人らしくふるまう。いきぶる。」

なお、この言葉は「意気」と「粋」が混じっています。


上の人間は「イキリオタク」および「イキリオタクを批判する人」を批判しておきながら「自分は粋である」という立場を保とうとしています。

しかし、まさにこの「自分こそが粋である」という思い込みこそが「イキり」の元になるというらせん構造になっています。


「何が粋であるか」という思考、特に「我こそが粋である」という思考を捨てられない限り、この「イキリ」の螺旋から逃れることはできません。


この螺旋から逃れるためには、「いき」とは何かをもうちょっとちゃんと考える必要がある。

そして、実際に考えた人がいた。


https://1000ya.isis.ne.jp/0689.html

さて九鬼の言葉によると、「いき」の契機は「媚態」「意気地」「諦め」によって成立しているという。

①媚態をぎりぎりにさせつつ、共同的な二元関係を感じあっていくには、いくら男女が快楽を交わそうとも、そこには適当な「距離」が必要になる。この媚態と距離との両方をキリリと表象しているのが、どうやら「いき」なのだ

②「意気地」は、一言でいえば媚態のテンションを持続させ、距離をおいても媚態が朽ちないために、そこにさらに磨きをかける「心の強み」のことをいう。とうてい実現することのない理想を求める心意気だ。九鬼は、むしろ「いき」の振舞や「いき」な存在をまっとうしようとする心意気こそが、意気地をつくっていくとみなしていった。


③「いき」を心意気にしつづける最後の契機として、九鬼は「諦め」を持ち出した。これは諦念というよりも「恬淡無碍の心」というものである


粋を突き詰めると、最終的にはこのような「悟り」の境地へ至る


人間は偶然に地球の表面の何処か一点へ投げ出されたものである。如何にして投げ出されたか、何処に投げ出されたかは知る由もない。ただ生まれ出でて死んで行くのである。人生の味も美しさもそこにある。
 これが、偶然であり、「いき」なのである。
 未練はもたない。鼻緒が切れれば、紬(つむぎ)の袖だって破るということなのだ。


「我こそが粋である」などと考えるということ自体がもう「いき」とは真逆の考え方であることがわかるだろう。


◇粋なオタクとは何か

私や上の彼のように、Twitterで他人を論評するようなことをしたり、自分を良いものとして見せびらかそうとしない。

自分自身は高みを目指しつつ、「チラ見せする」。

それでわかる人にだけわかってもらえばよい。

そんな心が「粋」なのかもしれない。


今のSNS時代にはほぼ生息していないし、見つけるのは困難だろう。

みつけようとして見つかるものではなく己が自分を高めようと道を歩いていたら、偶然出会うことができるかもしれない。


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