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仁藤夢乃さんの被害の訴えは「危険の引き受けの法理」によってかなり後退させられるかもしれないという話


危険の引き受けの法理について

さて、今回Colaboおよび仁藤さんを擁護する人たちは「自分は何も悪いことしてないのに」「自分はむしろ世のため人のためになることをやっているのに」、邪悪な存在によってひどい目にあわされているかのような主張をしています。

さすがに公式声明はそこまで極端ではないですがやはり偏りを感じます。

これ自体は法廷戦術としてはオーソドックスなものなので別に問題ありません。ですが、こういう法廷戦術があるなら、それに対抗する戦術もあるのですね。

それが「被害者の危険引き受けの法理」といいます。

詳しくは以下の記事を読んでもらいたいのですが、簡単に言うと

普段から人を強い言葉で非難しまくったり、否定しまくったりしてる人は、一定の程度では反撃として言い返されて心が傷ついても「損害の賠償」を求めることはできない、というルールです

「インターネット上やテレビ番組等不特定多数の者が見聞することが可能な環境において、自分と政治的意見や信条を異にする相手方を非難するに当たり、ときに相手を蔑み、感情的又は挑発的な言辞を用いる表現手法は、これに接する不特定多数の者に対して、自己の意見等の正当性を強く印象付ける一定の効果が得られることは否定できない。しかし、反面、非難された相手方をして意見や論評の枠を超えた悪感情を抱かせるおそれがあることもまた見やすい道理である。そうであれば、表現者が上記の表現手法をもって相手方を非難する場合には、一定の程度で、相手方から逆に名誉棄損や侮辱に当たるような表現による反論を被る危険性を自ら引き受けているというべきである」要するに、違法行為による損害を受ける危険をみずから引き受けて行動した人は、それによる損害の賠償をもとめることができない、というもの

ちなみに、この上の記事で「危険引き受けの法理」を解説しているのは、Colabo弁護団に所属する武蔵小杉合同事務所の神原元さんです。「しばき隊」の最初期のメンバー&しばき隊の弁護士としても知られている(本人が自分で明言している)人ですね。

この法理により、「橋下元知事なんかを攻撃するときは多少ひどいことを言っても許されるんだ。なぜなら橋下さんが悪いんだから」ということがいえるようになった。 

これは竹田氏が自分の普段の発言を棚に上げて山崎氏を「あいつは俺を差別者と呼んだ!名誉毀損だ!」と訴えたときにも同様の法理が適用されました。

 一審東京地裁は21年2月、山崎氏の投稿には相応の根拠があり、竹田氏自身が講演や著書で攻撃的・侮蔑的な表現を繰り返していることから「一定の批判は甘受すべきだ」と竹田氏の請求を棄却。二審東京高裁も支持し、最高裁第二小法廷(草野耕一裁判長)は今月13日付で、竹田氏の上告を退ける決定をした。

みなさんがこの法理を知ってるかどうかはわかりませんがこれはネットの名誉棄損を考える上で非常に重要な法理になりつつあります。

ネットはなんかこのあたりが行き過ぎて「あいつは普段からこういう発言をしているんだからこっぴどく叩かれたり、多少デマを使って攻撃しても構わない」みたいな空気にはなってるのでこれはこれで問題だと思うんですが(具体例を出すと話がそれちゃうからここでは具体例は出しません)


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