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ノンポリのためのざっくり左翼史① 戦後~ブント誕生まで

新左翼全然わかんねーって言ったらコメントで教えてもらいました。

これが正しいかどうかはわかりませんが、まずはこれでざっくり固有名詞と時系列をインプットしていきたいと思います!




左翼マンダラ見て「細かすぎ!」て思った笑


戦前の共産党の再建

まずは「解放軍規定」:「愛される共産党を目指そう」と平和革命を目指す

しかし、コミンフォルムや中国共産党から指導が入ったことで、国際派と所管派(平和主義)にわかれる


結果論からすれば、ここで「所管派」をピックアップして後押しすれば流れは変わっていたかもしれないけれど・・・


ここでNATO設立&「赤狩り」が開始。国外逃亡した所管派は北京機関を設立

この際に、所管派はコミンフォルムに詫びを入れることに。

なぜかコミンフォルムは国際派ではなく所管派を正統と認め、共産党は指導部が北京から指示を出すことに

なお、国際派は自己批判して所管派に合流。

共産党の「51年テーゼ」によって、米帝打倒&武力革命路線が規定される


「中核自衛隊」と「山村工作隊」などが活動する。この際に「腹腹時計」などで有名な闘争のいろはを語った「球根栽培法」が出版される。


ただし武装闘争路線は大衆から全く支持されず、選挙では共産党が全員落選→再び平和路線に転換し、国際派がメインになる

所管派リーダーの徳田が死亡。野坂だけが帰国する。

あっさり自己批判して、また平和路線に戻る。この際に「反米帝路線」は維持した上で「武装闘争」路線をいったん否定する。


一方、学生たちは「全学連」を結成→「うたごえ運動」でノンポリへ広がっていく

平和路線転換の際に「革命するのに戦わないなんて失望した」と自殺者が出るほどだったらしい(六全協ノイローゼ)。血気が盛んすぎる・・・

「世界革命」の困難さに絶望した学生たちは、「うたごえ運動」を始める。学生たちはパリピ化して「学生生活を快適にする」という路線に。めっちゃいいじゃんこれ。

もちろん砂川闘争とかを行うガチ勢もいたけどメインはパリピ。


1953年スターリン死去→スターリン批判→日本の共産党は自主独立路線(新左翼)とマオイズムに分裂


なお、中国共産党側は毛沢東が戦前の日本白樺派に影響を強く受けており、だから「原始共産制」「空想的社会主義」の思想が強い

「新左翼」の誕生

スターリン批判があっても目が覚めなかった革命志望者たちが独自路線を求めて生み出したものって理解でいいのかな?

①革命的共産主義者同盟(トロツキストを乗り越えた反スターリン主義?)
②共産主義者同盟(ブント)
学生運動出身。共産党を批判してたら共産党を除名された連中が集まった。「学生運動先駆論」を唱える。ここが安保闘争を主導する。割とチャラくてテーゼとかも緩い。ガチ勢からは程遠い集団だった。=今でいうところのSEALDSみたいなノリかな?

左翼や共産党にとって安倍晋三が不倶戴天の敵なのは、そもそも安保闘争が「アメリカの手先岸信介」をやっつけるための運動だったから

左翼の人たちはスガやキシダよりとにかく「安倍」を批判する。なぜかというと安倍晋三は岸信介の孫という特別な存在だから。

安倍晋三はアメリカの手先で、ものすごい秘密を持っているはずだった。(実際岸信介がCIAからどういう指示を受けたかという秘密ファイルはいまでも公開されていない)。こいつを倒して秘密を暴くことで自分たちの正義が証明される。そういう妄執のもとで50年以上戦い続けてきた。

ところが安倍晋三はそこまでの巨悪ではなくあっさりと殺されてしまった。いまでもその事実を認められなくて死んだ安倍さんの墓を暴けばすごく重要な秘密が明らかになると信じているのだろう。


ブントは人気はあったけれど緩いノリであったから組織化もちゃんとできておらず割とすぐに息切れして分裂していく…

やっぱりSEALDSじゃないか。

左のおじいさんたちがやたらSEALDsに肩入れするのなんとなくわかったわ。過去の自分たちを肯定したいだけじゃん。その結果人死にとかも出たけどそういう話をSEALDsの若者にちゃんと説明とかしてるのかな?

やっぱり左翼のおじいちゃんたち全く自己批判できてない……過去を美化した老害ほど有害なものはないでしょう。


というところでいったんここまで。マル革とかは、安保闘争の後にブントが解体した後からメインになってく感じですね。



おまけ

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