自分が主張する正しさがただの「お気持ち」にすぎないわけじゃない、ということはどうやって示せばよいのか問題
後先のことを考えずに、批判をするのは簡単だ。ただ、一度そうやって批判しはじめるとそれなりの整合性は求められる覚悟は必要だろう。
私はドイツやイングランド代表の抗議の姿勢自体を称賛する人にどれほどの覚悟があるのだろうと思う。それがただの「お気持ち」ではないとはとても思えない。
だって、わざわざアメリカに内定してたはずなのに横車を押してカタールを選んだのは欧州勢だしね。当時から批判してたアメリカが批判するならわかるけどドイツがそれ言うかと?まして、国家として声明を出すならともかく選手にそういう行動をすることを求めるとか。いろんな意味でクソでしょ。
五輪の時に、日本でも五輪委員会じゃなくて選手に対して攻撃をしかけた馬鹿がたくさんいましたけど、自分勝手にもほどがあるなと思います。出場選手を自分のどれか何かと勘違いしてますよね。
批判するなら、カタールよりも、おたくの国の委員会でしょ。
まずこの問題をクリアしてほしい
このアングルからカタール「だけ」を批判するのはそんなに簡単ではない。
欧州の人たちをもっと批判すべきだし、そして日本も自分たちがやってきた歴史をもっと謝罪すべきって話になるのは当然だし、安易にドイツ選手を持ち上げてとかいうのはまあ無理。
どうせ共産党とかエセリベラルの界隈の方々がはったキャンペーンなんだろうな、くらいの印象です。別にその流れに乗る乗らないは個人の自由ですが、私は遠慮しておきます。どうせこの手の人たちは効果が薄いとわかったらはしごを外します。
相手を見て発動するかしないかが変わる正しさのことを「お気持ち」という
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