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ハックルさん原作のマンガ作品「妹のジンテーゼ」のざっくり感想

ハックルさんの作品は必ずあとがきから読もう。作者が何をしたかったのかがわからないと読み進めるのが難しいからだ。

タイトルにもあるジンテーゼとは「概念」のひとつである。概念とはある現象の中に構造を見出しそれに言葉を与えたもののことだ。現象の骨組みの名前が概念だ。

例えば、人は問題を解決する時、自然と二者択一的な考え方をしがちである。おやつにリンゴとパイがあったとしたらどちらを食べようかと悩んでしまう。しかしそこで二者択一的な考え方をするのではなく、両者を同時に採択するような考え方をするとより高いレベルで問題を解決できる。この場合はリンゴか体のどちらかを選んでしまうと選べなかった方も食べたかったという未練が残るが、その両者を掛け合わせたアップルパイを食べた場合にどちらが片方を選んだ時よりもぐっと満足度が高まるのだ。

この両者を同時に採択する考え方に対して哲学者のヘーゲルは「ジンテーゼ」という名前を与えた。この概念は実に多くの人々に強いインスパイアを与え、様々な問題を解決してきたので、それから200年が経った今でも生き残っているのである。この概念という存在があまりにも面白いのでそれをテーマにした漫画を作りたいと考えた。世の中には「ジンテーゼ」以外にも沢山の概念がありこれまで様々な問題を解決してきた。だから、それを伝える漫画というのは面白いのに加えて人の役にも立てると思ったのだ。

ところでそんな魅力的なテーマである概念にも一つの弱点がある。それは、あくまでも考え方にすぎないので、実行に移さなければ意味がないということだ。ちゃんと運用しないと頭でっかちの机上の空論になって、かえって解決を遠ざける場合すらある。また「概念」は現象の中から構造を抜き出したものなので、余計な枝葉が取り除かれているそのため運用する際にはその枝葉を付け直す必要があるのだけれど、それに失敗してもやっぱり問題を解決できなくなる 。

例えて言うならそれは「干物」に近い。アワビなどの美味しい干物も、お店で売っているままでは硬くて食べられない。ちゃんと水に戻してやらないと食べ物として成立しないのである。概念もこれと同じでちゃんと水に戻してやらないと役に立たない。あるいは水への戻し方に失敗すると、やっぱり問題を解決できなくなる。

実際そういう失敗は数多くある。むしろそういう失敗を積み重ねることが来年の扱い方の上達に繋がるぐらいだ。それは概念の上達学習方法の一つでもある。そこで、この漫画ではそうした失敗を描こうと思った。主人公が概念の運用に失敗する姿を通して、概念そのものやその正しい水への戻し方を描こうとしたのだ。

そのためにこの漫画は失敗をおもしろおかしく描く漫画になることが想定された。ところがギャグ漫画というのは書くのに高いセンスを求められ、それを上手に描く方法などというものは今のところ確立されていない。つまり「ギャグ漫画の上手な磨き方という概念は、まだ発見されていないのである。

そのため、概念というものの本質を伝えつつギャグ漫画としても面白くする、ということにはとても高いハードルがあることが分かった。それをほとんど高望みと言うか不可能なことのように思われた。

それで最初は、そのどちらかを削るということを考えた。概念の本質を伝えることに専念するか、それともギャグ漫画の面白さを追求するか――どちらを取るかで散々悩まされた。ところがそこで、ふと気がついた。「この漫画のタイトルはそもそもジンテーゼではないか。だとしたら二者択一的な考え方をすることはあり得ない。ここはやはりその両者を同時に採択する考え方をしなければ」

そうして結局その高いハードルに挑戦することになったのだが、この問題は、意外にもあっさり解決されることとなった。コンノヒナコさんという優れた漫画家と出会えたのだ。彼女は概念の面白さを伝えながら、優れたギャグを描ける高いセンスを有していた。彼女がいなければこの漫画はそもそも成立していなかっただろう。

おかげで無事、連載は実現したのだが、ひとつだけ心残りがある。それはコンノヒナコさんのような優れた漫画家と出会う方法を概念として確立できなかったことだ。そのため再びこうした漫画を作りたいと考えてもできるかどうかは未だ全くの未知数なのである

コミック担当の紺野比奈子先生がとても良いマンガを描く人だったことには同意。2015年に亡くなられたそうです…残念。お元気だったらどんどん良い作品を世に生み出してくれていたはずなのですが……


というわけでこの作品がどういう作品かわかりましたか?

この作品は「ジンテーゼ」という概念をわかりやすく描いた作品・・・ではなく、主人公のJKが「概念」を使って考えることに悪戦苦闘し続ける姿を描いたギャグマンガを志向した作品です。
なお、あとがきには全く説明がありませんが途中からは「クイズ」に挑戦する展開になるので一言でいうとクイズマンガに分類される作品です。

「もしドラ」ではドラッカーの本が魔術書に思えるほど何もかもが上手くいきすぎて気持ち悪かったが、この作品は、概念の重要性を示しつつ主人公が失敗しまくる姿がコミカルに描かれるので見ていて楽しいし、読みながら読者が考えるような仕組みになっています。

個人的にはかなり好きな作品だったりします。

ちなみにこの作品は、主人公の姿は面白いのにハックルさんの分身である「お兄さん」の説明が冗長すぎてテンポはめちゃくちゃ悪い


この作品、ハックルさんが言う通り、マンガ家さん側のスキルはかなり高いと思う。

ただ、ハックルさんの「話のgdgdぶり」を中和しきることはできていない。これはもう100%ハックルさんが悪いといってよい。

マンガ家さん側は最大限の努力をしたと思う。

どのくらいgdgdかというと、1話の試し読みがあると良いのだろうが、残念ながらないので下の記事を読んでもらいたい。内容は読まなくてよい。1話の中でお兄さんがしゃべってる割合がどのくらいかだけつかんでほしい。

本作品は冒頭で主人公で妹が登場して5ページほど行動したと思ったらいきなり兄と妹の問答が始まり13ページも延々とお兄さんがしゃべり散らかすのだ。

もちろんこのうんちく語りたがりのお兄さんはハックルさんの分身である。

つかみが大事な第一話でいきなり話のテンポを殺してハックルさんの分身が13ページもしゃべりだす話は、めちゃくちゃキツイと思わないだろうか。

しかも13ページもかけて語られる内容が、冒頭で描かれた5ページと関係ないのである。「何がしたいんだこの漫画は?」となること請け合いである。

実際は、このお兄さんの話は単体で見れば面白くないこともないし、この漫画を通して語られるテーマは結構好きなのだが、マンガの中ではこのお兄さんの話はただただテンポを殺すだけの邪魔な存在になっている。


この作品が、ハックルさんのあとがきのように「JKが失敗しながら概念を使って問題を解決するすべを学んでいく」コンセプトを貫けたらきっと面白かっただろう


しかし、実際はハックルさんが過保護すぎて作中に兄として登場し、毎回毎回ページの半分を持って行ってしまうし、失敗を先回りしてだいたいの問題を解決してしまう。その結果、お兄さんの語り以外のボリュームが絶対的に少なくなるし、お話も単調になってしまう。

また、妹自身も一人で考えていることが多いからなおさら話に動きがない。

こうしたこともあって序盤はとにかく話が盛り上がらなかった。マンガ作品として1巻はかなり失敗していると思う。

ハックルさんの尺の取り方は昔のTVに特化している


マンガとして考えると、ハックルさんの尺の取り方は明らかに異常である。しかし、彼は小説「エースの系譜」「チャボとなんとか」でも全く同じ構成で作品を作っている。

つまり、彼にとってはこれが自然なのですね。

で、明らかにマンガとしてはありえない尺の取り方をしてるのですが、こういうやり方してるメディアが何かあるかな……と考えてみたらありました。

「TVのバラエティ番組」をマンガで無理やり再現したような感じになってるんですね。

尺の長いVTRを見て、それに対して芸能人がリアクションをとることで進むやつ。あれは、①そもそも自分でページめくらなくても勝手に話が進んでいくテレビであることが前提であり、②しかもながら作業でも見れるくらいの密度が求められており、③動く映像とかBGMとかで雰囲気を明確に切り替えてくれるから見ていてしんどくない、などいろんな要素があるから許されるテンポだと思うのですけどね……

この人はもともとTV番組のプロデューサー的な仕事をされていたはずですが、小説でもマンガでもテレビのノリで作品を作ってしまったのです。

いわれてみれば兄と妹の尺を撮りまくる問答も、池上彰さんの先生と生徒のようなノリを意識したのかもしれません。


というか、作品中で自分自身が「話が盛り上がらない」ことの危険性についてうんちくを語ってるのに……

恋人がデートで見てはいけない話の説明。

ハックルさんの構成は「テレビで流し見」するには良いけど、自分からページをめくって読みたくなるかというと端的に言って怠い。このように、ハックルさんはうんちくを気持ちよく作品で語ったものの、それをマンガ作品に適した構成にするという部分がイマイチなんですよね……。


5話あたりからは普通に面白くなってきます

と、ここまでは本当にクッソつまらない作品なのでダメだししまくってますが、5話あたりからは、うざいお兄さんの存在が後退し、「クイズ研究会」のメンバーがとうじょうしてくることによって

ようやくJK同士のキャッキャうふふと「概念」の話が素直に楽しめるようになってきます。

1話~4話が異常につまらないゆえに、ちゃんと物語の方向性(クイズ大会で勝利する)とうんちく(記憶やゲームに関する知識)がかみ合うだけで、お話ってこんなに面白くなるのか、ということがわかる作品になってくれています。

もしドラと逆の現象ですね。

2巻からは、JKの主人公が、同じJKに対してうんちくを披露するようになり、うんちくがちゃんと物語と絡むので、そういう意味でも面白くなります。相変わらずお兄さんも時々は出てきますが、ちゃんとそのうんちくが物語の目的と合致していることが多く自然に感じられてきます。


そういう意味で、この作品はハックルさんが慣れないマンガ原作に取り組むにあたり、最初はぎこちなかったけど決して自分のやり方に固執することなく短い期間で「マンガらしさ」にキャッチアップして上達していく話として読むことができます。

ハックルさんといえば頑固者で人の話を全く聞かないみたいに見えてる人がいるかもしれませんが、それはtwitterでの振る舞いに限るのかな、と。実際はこういう柔軟なハックルさんもいるんだよということがこの作品を観ればわかります。

ハックルファンとしては必読な作品といってよいと思います。

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