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「ボッチだち」 隠し事をせず思ったことを率直に伝えるのは「真の友達」だけでよくて「その他」にはやらない方が良い


私も中学のときまでは割とこのマンガの谷口さんみたいなところあったのでなんか懐かしい気持ちになる。

これ前にも書いたことあるけど「仲良くすることそのもの」が目的の人相手だと、隠し事をせず思ったことを伝えるのはお互いのためにならないどころか、やっちゃ駄目なんだよね・・・。

とくに中学生とかだと自我がめちゃくちゃ弱いので、ちょっと否定されたらすぐに傷ついて、すぐにその人を「敵視」しだす。しかも中学生の頃は圧倒的に「仲良くできること」のほうが「正しいかどうか」より価値が高いので「仲良くすることそのもの」が目的の人たちのほうが多数派で強い。


※(蛇足)日本の学校は一定偏差値以上の私立でないと「己の意志をきちんと伝える」ことがそもそも大事であることを教えてくれない。ましてそのための技術指導や訓練などはしてくれない(リベラル・アーツの授業がある学校はいまでも少ない)。それ以上に「和を乱さないこと」ばかり求められる。これは学校の教師たちが疲弊しすぎていることが問題なのでなんとかしたほうが良いと思うが、文句を言ったところですぐには変わらない。なので、このあたりのスキルは、自力で本を読んで鍛えるか、家族と会話することで訓練するか、学校の外で他者と会話することで身につけるなどが求められる。

なので、そういう「仲良くすることそのもの」が目的でない人や、そういう馴れ合いに意味を見いだせない場合は、その空気を乱さない程度に形式的な付き合いをするしかない。


とはいえ、当時の私がそんなことを言われても「じゃあ思ってることも言わずに黙ってるのが正しいの!?ふざけてる!」とか反発してたと思うんだけれど・・・

「トークができる友達=率直に思ったことをぶつけ合える関係」はほんとに2~3人いればそれで十分だ。それ以上は要らない。むしろたくさんいるとそれはそれでしんどい。すべての人に自分の本音を見せるのはむしろストレスになる。

その2~3人さえいれば「その他」の人相手とは本音が一切語れなくてもまったく困らない。「この人たちとは、意志のこもってない、定型句を使った当たり障りのない会話だけしておけば良いんだな」とか「役割会話だけで十分」だと納得できるようになる。私の場合は実際にそうなった。

現金なもので、自分が安定してきたら、みんなだってそうなのだということがわかってから世の中が別にそれほど理不尽ではないなと思えるようになった。まぁ大学でその友たちとは離れてしまい、大学で人間関係再構築するのに失敗したので鬱色の強い大学生活を送ったけどね・・・



大人としては会話のルールが違う人を敵視しないようになりたい

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