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「劇場版 Fate/Grand Order 神聖円卓領域キャメロット」後編-2 

キャメロットは、人の夢でできた都だ

全体の感想


正直、やっぱり原作ありきの作品であり、原作の見せ場をあらかじめわかっていないとこの作品だけでそれを受け取るのは相当難しいと思う。


それでも、終わらせ方以外はとても満足している。


もともと第六章は原作でも群像劇の要素が非常に強い。というか強すぎる。

そんな中で主人公はただ彼らの戦いを見守る傍観者の役割すらあまり果たせていない。カルデアのマスターとしての物語の力が非常に弱い。

なので、視点をとにかくシーンごとに遠隔調整する必要があるのだけれどそのあたりが演出としてうまく行ってたかというと微妙。「ガウェイン戦」をはじめ、円卓の騎士の戦いは描写も含めてとても満足度高かったのですが、それに比して主人公はもうほとんど物語の方向性を強制的に決めているだけで、しかもその行動にあまり納得感を持たせてくれない。

このちぐはぐ感は最後までぬぐえない感じになった。終わり方も主人公置いてけぼりな感じで、改めてこの物語は「カルデアのマスターはあくまで部隊をセッティングするための装置でしかない」という印象になる。

「いやいや、もともとFGOなんてそんなもんじゃん、英霊たちが過去の因縁にケリをつけようとすることとマスターの目的が一致するから共闘してるだけじゃん」って言われそうだけど、第六部は特に傍観者感が強いと私は思う。

とはいえ、これはパッケージでもベディヴィエール全推しになっているので最初からそのつもりで観ればわかるかな。べデイヴィエールの物語としてみれば非常に高いレベルでの演出がされていたと思います。

「この物語でベディが抱え続けていたものは“贖罪”なんです。

だけど藤丸たちに出会ったことにより、命はつながっていくということを知れたのが彼にとってすごく大事なことで、それによって獅子王に“ごめんなさい”ではなく“ありがとう”を言う旅へと変わっていった。

ベディが一番恐れていたのは自分の旅が意味のないものになってしまったらどうしようということだったのですが、それは自分自身ではなくアーサー王にとって、我々円卓といた時間も含め、生きてきたことが意味のあるものであってほしい、それが無になってしまったら怖いという想いだったんです

だから本編最後のセリフは本当に、円卓全員が報われたような。なんてきれいな、美しい物語なんだろうと」

こういう意味で言うと、実はベディヴィエールの物語ですらなく、アルトリアの逆ハーレム物語。というかまあ白雪姫。

「いかにして、アルトリアという偉大な存在に幸福な結末を迎えてもらうか」というやり直しの物語。それを七人の小人ならぬ円卓の騎士たちが一生懸命考えて実行する。

命がけで忠義を尽くすもの(ガウェイン、トリスタン、アグラヴェインなど)と「いやそうじゃない。王の誤りは正さねば」と抗うランスロットなどなど。最終的な答えがベディヴィエールになっただけで、別の物語も十分あり得た。

そんな物語だったと思います。


細かい演出の話などは、こちらの記事を読んでみてください。




後編の後半・ダイジェスト

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