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「ただ褒める」が出来るようになるメリット

の記事の続き。

「ただ褒める」が出来るというのはどういうコトかというと「褒める」という行為を重たく考えなくていいってことです。


褒める機会・絶対数が増える

ただ事実を述べるニュートラルな行為になるので、深く考えずに簡単に実践ができるようになります。

良いと思ったことであれば好きでなくても、難しい解釈をしなくても、ちゃんと理解しなくてもほめていいんです。だからいろんなことをホメられるようになります。褒める絶対量が増えます。嫌いな相手についても良い所があれば褒められるようになります。


実はほめられる側もこっちのほうが楽

自分が褒められる側の立場だと思ってください。

「◯◯さん、~~すごいですよね。◇◇さんよりすごいと思います。それと比べたら私なんて、、、ところで~~~ってああでこうですよね。私こう解釈したんですけどあってますか。後私◯◯さんのこと好き好き大好きです私◯◯さんのこと***という理由で好きなんです。いいですよね私の好きを迷惑とか言いませんよね」

さっきいったようにこういう褒め方って胃もたれするんですよ。
あと褒めてるのに脅迫的なんです。

・自分よりすごいから褒めてる 
・◇◇さんよりすごいから褒めてる
・自分の解釈のとおりだから褒めてる 
・***という理由があるから褒めてる

しかもこれを全部好意と結びつけている。

つまり「すごくなくなったら」「解釈に一致しなかったら」「***でなくなったら」「褒めたことで自分も見返りがもらえなかったら」アンチになるって言ってるようなもんです。

こういうやつは「ファナティック」、つまり「厄介オタク」です。

こういう厄介オタクの激重感情を受け取る側になることを想像してください。やってられねーって思いません?

しかし、こういう厄介オタク、「褒める」という行為は善であり拒否されないと思ってるから、遠慮しないんですよね。特に、好意とセットになってるケースは黙って受け入れてるとどんどんエスカレートする。

重たい褒めをする人は、相手に感情労働を強いてるんですよ。こういう重たい「褒め」を受け取ってほしいならそれこそ赤スパチャしろやってなります。


というわけで、みんな、褒める時はもっとニュートラルにカジュアルにやりましょう。軽い褒めを継続的にやりましょう

「褒め」だったらなんでも相手がありがたく受け取るという勘違いは今日から綺麗さっぱり捨てましょう。

相手に届かない場所で絶叫するなら良いですが、相手が見える場所での褒めは、ちゃんと相手が受け取りやすい形で。相手の負担にならない形でやりましょう。それなら喜んでもらえるでしょう。

なにより、一番良い褒めは、無言でもいいから時間を費やすことです。ブログならちゃんと記事を読んてることを示すだけでいい。ゲーム実況ならそれを見てだんだんとコメントするだけでいい。お金より時間。人間にとって大事なのは言葉より時間です。自分に対して時間をかけてくれている人こそ、どんな言葉よりも信じられます。目立たないけど説得力が段違いです。むしろ言葉だけ大げさだけどすぐ離脱するようなやつは信用しない。私はYou Tubeをずっと見てくれてる人を誰よりも信じます。

インパクトを残したいとか、一発で相手の認知に残りたいなどと分不相応な希望をいだいて厄介クソオタクの激重感情を相手に渡そうとするのであれば、それを受け取って欲しいなら、ちゃんと赤スパを支払え。私はVTuberオタクは気持ち悪いとは思ってるけれど、あれはちゃんと対価を支払っているから肯定できる。

肯定できないのは、他人に無償の感情労働を強いておいて、自分はいいことをしたと勘違いしてる連中だけです。


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