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「自分より詳しい人やすごい人がいるから自分なんかが発信しても…」という考え方は傲慢だと思うという話

※だいぶ前(BORUTO1巻を読んでた頃)に書いてた下書き記事。途中で終わってるから多分最後まで書ききる前に力尽きたんだと思う。 当時の文脈が自分でもよくわからないけど、さすがにこれだけ書いていたのをお蔵入りさせるのはもったいないから公開しておきます。 たまにこういうことがある(未公開の下書き記事が100くらいあるけどほとんどはお蔵入り)



「自分より詳しい人やすごい人がいるから自分なんかが発信しても…」という発言は一見謙虚に見えるかもしれない。でも私はこういうこという人たちってめちゃくちゃ傲慢だと感じる。


こういう人って「知識の多寡によって人の評価が決まる」というランキング思考で考えているか、過剰なオリジナル信仰があるのかもしれないが、そういう物差しで人を評価していて、そういう評価の仕方が自分にブーメランとして刺さってるだけじゃないのか?

ランキングの上澄み部分だけみて「自分なんかがやっても・・・」って考えるのは、ちゃんと全体像が見えてないから中間層だとか低レベルから一歩ずつ頑張ってる人たちが視界に入ってないのではないか。視界に入っているのであれば、なおさらタチがわるい。「自分なんて・・・」って人がみんなやってるのを知ってるけど自分は同じにはなりたくないって言ってるわけだから、普通に見下してることになる。


そもそも、私が思うに「自分の知識を見せびらかすこと」と「役に立つと思った情報を発信すること」と「◯◯に向けてわかりやすく説明すること」はそれぞれ別だ。

ネットで発信してる人は「自分ってこんなに知っててすごいだろ」という見せびらかしをやって褒めてもらうためだけに発信してるわけではない。もっと単純に「これは楽しいから共有したい」「これは知っておくと役に立つと思ったのでみんなにも知ってほしい」とかではいけないのだろうか。


こういう動機で発信する時「自分なんかが発信したところで」って考えたりするのだろうか?


自分より詳しく発信している人がいる、自分より丁寧に発信してる人がいる、というのであれば、「その人を紹介する」ことだって立派な発信だ

「先生ー それ だれの受け売りですかー?」

「これは私の大学の恩師の口癖です」

「やっぱり!先生 たまにはオリジナルで頼みますよー」
「オリジナルでのう~~~ なかなかないのう~~~」

「それでも国語教師ですか~~~?」「ご隠居しっかりー」

「でも 私の頭の中には たくさんの先人の言葉が
 受け取ってきた宝物があるので
 それを きみらにパスするために
 受け売りをするために 教師になったんですよ」



すごい人を見てそれを自分なりに噛み砕いてみたり、身近な人にわかりやすく伝えるなどの工夫をすれば、それは立派な発信である


こういう「受け売り」を軽んじる人はこれが誰にでもできることだと思ってるのだろうか。これが誰にでもできるんだったら、教師という職業は存在しないのだが。

受け売りすらまともにできないやつに限って、自分ができないのに受け売りのことを軽く考えてる。簡単だと思うなら、まずそれを完璧にやってみろと言いたい。


1:受け売りって、まずすごいものとそうでないものを区別することができるってことです。 見る目がちゃんと育ってないとできない。「教養」が必要なんですよ。 教養がない人はまがい物でも平気で信じてホイホイついてっちゃいますからね。

2:次に「すごい人がいったことをちゃんと聞いて、ちゃんと理解して、それを他の人にバトンリレーできる」ってことです。普通に並以上の読解力が必要だし、前提知識があって、正しく理解しようという姿勢がないとできないことです。

3:まして、それを他の人に伝達ロスなく伝えられるってことです。これが相当に難しい。自分が知ってるつもりでも人に説明しようと思ったらとても難しいでしょ? 伝える相手のことを考えて、相手がわかるように工夫して伝えるってそんなに簡単じゃないわけです。ここで勝手にオリジナリティが出てきます。


これが立派な発信でなくて何だというのかと言いたい。余計なことを考える前に、まずこの「受け売り」をしっかりできるようになれやといいたい。


まずなぜか多くの人が、受け売り以前に「インプット」を軽く考えすぎなんだよな……



そもそも人は、「すごい人が言ってるからから」よりも「身近で」「信頼している人」をきっかけにアクションを起こすものである


そうはいっても受け売りだけだとなあ……って思うかもしれないけど

自分が発信することにはもう一つ意味がある。「自分がそういう発信を積み重ねることで、メディア力がつく」ということ。


要するに、いざほんとに伝えたいことがあっても、普段からメディア力を育ててないと、誰も自分のことなんか聞いてくれないのだ。逆に言うと、メディア力を育てていると話を聞いてもらえる。人によっては「すごい人」がいってもスルーするのに、ほかならぬ自分が言ったからやってくれることだってあるのだ。


すごい人が正しいことを言ってたら瞬時にみんなに正しい情報や知識が伝わるわけじゃない。人間というのはそういうものではない。


他でもない自分が
身近な誰かに対して、
相手にわかりやすいように
工夫して伝えたり、根気強く繰り返し伝えることによって
はじめて伝わることだってあるのだ。


自分が発信するからこそ伝わる相手もいるし
自分が発信しないと大事なことを知らないまま終わる人もいるのだ。
だから自分がやるのだ。

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