自分語りが下手と指摘された時に、「自分語りは悪ではない」と主張するのは意味がないし「私はアホです」って言ってるのと同じ

自分語りをするのが大好きなのだが、その自分語りがあまりに一人よがりすぎていつも不評な人がいる。


togetterでまとめを作るたびに

「紹介するマンガは面白いが紹介文が邪魔」
「マンガの紹介より自分語りが9割」
「セルフまとめがなぜダメなのかの象徴」
「自分語りが邪魔すぎる」

などなどあの手この手で自分語りやめろと言われる。

この人の話はおまけ部分で語ることにして、まずは一般論から。



「自分語りしてるから批判されている」「批判されているのは自分語りの部分」と考えるのはただのバカ


自分がいう側の時は100%理解しているはずだ。

こういう場合、「自分語りやめろ」と言ってるみなさんが本当に言いたいのは「お前の語りはつまらない」ということだけである。

それ以外の言葉はすべて意味がない。

自分語りというのはただの一要素に過ぎない。別に他の言葉でも構わないのだ。とにかく言いたいのは「お前の語りが退屈だ」ということだけ。

じゃあなんで直接そういわないかというと人間は「つまらない」ものと出会ったとき不快感を感じやすいので、何かしら具体的に批判したくなるからだ。にもかかわらず、大半の人間は「つまらない」という感情や言語化するのは不毛なのであまり頭が働かない。

この合わせ技によって、つまらないものほどだいたい定型句を使って批判するという現象が起きるのだ。

つまり、結局のところ「雑だったり定型句で批判される」ということは「お前の文章は丁寧に批判する価値もないほどにつまらない」「お前の話はシャレにならないくらいつまらない」ということを意味しているに過ぎない。


雑な批判に対しては、基本的には反論しても意味がない

ここは自戒を込めて言うが、雑な批判に対しては、基本的には反論しても意味がない。する方もまともに考えてしゃべっているわけではないから

はてなスターやRTみたいに、その雑な批判に権威を与えるシステムさえなければ無視しても良いのだ。(いまはこういう雑な意見に権威を与えるシステムがあって世の中を確実に悪くしている)


みんなは優しいから「一人語りはやめろ」ということにしてくれているのに「一人語りは悪くない!」と反論するのはただの精神的リストカット行為かアホの証明になってしまう


問題なのは自分語りではない、話がつまらないということなのだ。

これは自分語りの是非を論じても意味がないどころか、「自分語り」批判を封じたら別のもっと具体的な形で批判されるだけだ。本来の問題はそこじゃないのだ。


ただし、アホの子はこれがわからない。

アホの子はアホの子であるがゆえに、自分の記事が「自分語りやめろ」と批判されている時に「自分語りは悪くない」ということを主張できれば自分への批判がなくなると考えてしまう。

繰り返し言うが、そこを否定したところで、自分の語りがつまらないことには何の意味もないのだ。

わざわざそのオブラートを剥がして「自分には脱線話が多い」とか「自分は構成が下手」という己の現実をむき出しにする。

自分が反省したいのであればそういう姿勢も大事だが、自分が傷つきたくないのであれば、そういう返しはただの悪手でしかない。

返すべきはそこじゃないのだ。


自分への批判はすべて「一人語り」や「セルフまとめ」ということにして、それだけを否定することで自己を肯定する、みたいな態度はは「無自覚な藁人形論法」、別名「モット&ベイリー法」と呼ばれる詭弁にすぎない。

これを無自覚にやっている人はバカの証明になるし、わざとやっている人間は極悪人の証明になる。どちらにせよろくな評価にならないので今すぐこういう風な返しはやめた方がいい。


雑な批判をしてくる無関心な人間に対して対しての的確な対応は「お前が思うんならそうなんだろうな」か「俺の面白さがわからないやつはバカ」の2つしかない(誹謗中傷は断固として立ち向かうべきだが)


繰り返すが、雑な批判をしてくる人間のいいたいことはただ一つ。「面白くない」である。もう少しマイルドにすれば「興味がない」くらい。

こういう反応をしてくる人にこちらができることはない。

一つはスルーだ。もう一つは「こいつはそう言ってるが俺はちゃんと面白い」と主張することだ。

これ以外の返しはすべて無駄だ。



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