ノンポリのためのざっくり戦後左翼史④(終) 祭りの後
のつづき。
あさま山荘事件の真っ最中にニクソン大統領と周恩来が握手してて「俺たちの闘いはいったい何だったんだ…」ってなるの皮肉すぎてさすがに同情する
③の時点で「レッド」のところまで来たので後はサクッとまとめて終わり。
この人たちは根本的に「連帯」というものが無理な人種なのだと思う。だからこそ「連帯」という言葉を強調する。
いやー。1.5時間の動画だったけど、私は何回も再生しなおしたからめちゃくちゃ時間かかった。すっごい面白かったわ。
いかに些細なことで左翼が分裂しまくって話を複雑にしていってるのかがよくわかる。我が強すぎるんだ……。自分たちとちょっとでも違うものを許せない。自分たちの我を拡張していくことが連帯だと思ってるから妥協できない。
そういう人達が寛容で平和な社会を作れるわけがないのに、この人たちは最後まで「世界平和のために」活動してるといってたんだから皮肉もいいところだ。
理解したことでなお、「純粋な左翼」はダメだと思うようになってしまった。いろんな国がちょっとずつ中道の方によって行くのは仕方ないと思う。
連合赤軍以外の動き
日本赤軍・最高幹部の重信房子は、連合赤軍とはほっとんど関係がない
1974年に初めて日本赤軍という名前が登場するし、連合赤軍が山岳ベース事件が起こす前にはとっくに絶縁状を送っている。
学生運動の中から「ウーマンリブ」も立ち上がっていったがこちらは革命戦士の連中が実際は男尊女卑がひどかったから
これは今でもよく言われるけど、リベラルとか共産主義の人たちは結構男尊女卑がひどい人が多い。なぜなら「女を守る強い俺」という「きわめて男の中二病的な考え」からスタートする人が多いから。
反差別というのはどうしてもそういう性質がある。
一方で、女性はリベラルや共産主義に期待を持ってしまう。この矛盾が最初から存在した。これに対して「まず革命家ぶった男を殴らねばならない」といってるのがすごく好き。
動画でも「現代でも通用する主張をしていたのはこの田中美津くらいではないか」って総括されててめっちゃ面白い。
なぜ優秀なはずの学生たちは内ゲバを起こしてしまうのか…
これは共産主義に根座す「前衛」という考えが悪さをしているのでは。
マルクスは団結を訴えたが、レーニンは「前衛」を重視した。
もっとも過激な連中が尊敬を集めるみたいなところがあり、当然前衛は「承認欲求の塊」みたいな連中が集まってしまう。これによってささいなことで主義主張の対立を起こし、相手陣営には些細なことでケチをつけ戦い方も過激になる。
一時期はおとなしくなっていたが、Twitterで「党派性」や「承認欲求刺激」が再現されたことによって、内ゲバまで再現されているかもしれない。
前半も面白かったが、こちらはnoteではまとめません。
余談:重信房子のその後について
戦場に行ってパレスチナの人と話をするのだが外国の人に自分たちの思想を伝えようとしたときに、日本の学生闘争がいかに滑稽であったかを悟ったという
日本での赤軍派で活動していたころの洗脳は溶けていった。
それでも結局日本赤軍として活動することになってしまった…。