伊是名氏のやり方は駅員への扱いがひどいという「ミクロな観点」ではなく「マクロな観点」で見ても時代遅れである

今回の伊是名氏のやり方をやり方を見て、「川崎バス闘争をおもいだした。やはりこういう人がいるからこそ社会の物事が変わっていくのだ」と主張している人がいたが、


その川崎バス闘争で実際に戦った人が「そのやりかたはすでに意味をなさない」と主張しているのはご存じだろうか。

<追記>この記事についてですが、私の誤解がありました。著者の「四つ這いおとな」さんは、川崎バス闘争を行った青い芝の会とは無関係の人でした。言われてみれば「僕が生まれるよりずっと前」って書いてるのでそりゃそうですね……完全に誤解してました。失礼しました。
健常者は「自分たちだけ余るほど持っていながら、ちっとも分けてくれない」のか?
そもそも健常者は、今この瞬間、「未来に希望を持って、生き生きとしてる」のか?
そんなことないんじゃないか?少なくとも僕はさ、「今は健常者だろうが障碍者だろうが、もっと言えば男だろうが女だろうが白人だろうが黒人だろうがさ、ぶっちゃけそんなことには関係なくみんなそれぞれに、けっこうしんどい』って感じなんじゃないの?」って、そんなふうに思ってるんだけど、違うのかね?
だからさ、もしみんながだいたいそんなふうに思ってて、自分だって余裕なんかなくて、なんとかかんとか生きてるってときにさ、「お前ばっかりズルい!こっちにももっとよこせ!」みたいな感じでグイグイと、まして「敵対的」(攻撃的)な感じで来られたらさ、「怖っ、怖いってほんと。あんまり、関わらないほうがいいな……離れとこ」みたいな感じで、「ドン引き」されるんだけなんじゃないかって思うんだよね


単純な話として、「健常者」たちの社会も貧しくなって余裕がなくなってしまった

健常者は未来に希望を持って生き生きとしてるのに、障碍者は隠され疎まれて鬱々としていた。そんな状態だったって言うならさ、「徹底的に闘って、相手が余るほど持ってるものを、なんとしても勝ち取る」っていうのもありだったと思う。それだけ、「圧倒的格差」があったときならね。

昔みたいに、攻撃してもびくともしない存在ではなくなっていたし、むしろ自分たちをちょっとしたことですぐ吹き飛ぶような弱い存在だと認識するようになった。

この状態で、昔みたいなやり方をしても受け止める余裕がなくなっている。「俺たちは恵まれてるんだから彼らの声にも耳を傾けよう」じゃなくて「おれたちだって私たちだって余裕がないんだ」と心がささくれ立ってしまう。


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