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おまけの時間がドラマをつくる(2019-07-04)

ふとしたときに小学校3年生のときに起こった出来事について思い出すことがある。

新しい学年に進級してクラス替えがあったんだけど、初めて入った教室は、知ってる人知らない人が入り混じって、みんなの期待と不安でごちゃごちゃの状態になっていたのね。

しばらくするとクラス全員が集まって着席していたんだけど、いつまで待っても新しいクラスの担任になる先生が来ない。

みんなの不安はどんどん高まってざわつきだした。

誰かが不安を煽る一言を放つ。そうするともう、そのごちゃごちゃの状態は一気に不安のほうに流れていって、みんな新しい期待への気持ちはどうでも良くなって、教室中に不安な気持ちが充満していった。

学年でも噂になるような暴れん坊の内田くんが初めて同じクラスになったんだけど、そのときその内田くんが突然、癇癪を起こして怒鳴り散らしてガタガタと暴れだした。

当然、みんなそんな状態のやつとは距離を置いて離れて遠くからその様子を見守っていた。内田くん対クラスのみんな、という構図が生まれる。

元クラスメイトだった人たちが少し距離をおきながら、内田くんをなだめようとしているのが見える。

いまだになんでか思い出せないんだけど、僕は彼の目の前に行ってに話しかけた。もちろん内田くんとは、はじめましてなんだけど、そういう行動を起こしたってことを覚えている。

(なんだか行かなきゃいけない気がしたのだろうか。いや、頭が悪かったんだろう。)

背の順で一番前になるような僕の小さな体と比べると、背の順で一番うしろの内田くんはとても大きく見えたんじゃないだろうか。

混乱して怒鳴り散らす内田くんの目を見上げて会話をした記憶がなんとなくある。おちゃらけたことを言ってなだめようとしたけど全然効果がない笑
いまの自分では考えられないおちゃらけ具合だったと思う。

そうこうしていると、その騒ぎに気がついた隣のクラスの先生がやってきた。

たしか、担任になる予定だった先生が妊娠されていたんだけど、クラス替えの当日に来れなくなっちゃって、その代わりの先生が充てがわれないまま、僕らのクラスだけ始業時間になっても放置されてたっていう、嘘のようなホントの話だった気がする。

(こうやってふりかえるとなんだか奇妙な体験だ。)

後日、その暴れん坊の内田くんの住むマンションに遊び行った記憶も残っている。

両親共働きだったのか、遊び行ったときに家には誰も居なくて、
薄暗い部屋でカーテンから漏れる光の影が落ちるスーパーファミコンが
テレビの前で静かに散らかっていたことを覚えている。

内田くんは癇癪持ちなので相変わらず怒鳴る場面は多かったけど、そこからしばらくは仲良くしていたような気がする。というか怒鳴るたびに僕が一方的にちょっかいを出しにいっていた、たしか。

クラスのカオスな状態は時間とともに薄まっていって、内田くんの癇癪も次第に少なくなっていった。その時間の流れとともに僕と内田くんとの関係も薄まっていった。

学年が上がったらまたクラス替えがあって話す機会もなくなってしまった。
そしていまはもう連絡も取っていないし、Facebookすら知らないような関係である。

でも、僕の心の中には、
直面するカオスや問題に対して心がジンワリと反応する不思議な感覚
だけが残っている。




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