『一庶民の感想』 8 女はフィクション
女はフィクションだ、実体がない。観念としての女、ぼくの中で女はフィクションだ。女は画像や動画、漫画、小説の中にしかいない。触れようとしても、触れられない。肌触りや匂い、髪の質感、肌の柔らかさ、頬の愛おしさ、そういうものはありありと想像できるのに、現実の女は遠い。百万光年先にある星の光のように遠い。
風俗嬢もフィクションだ。源氏名、疑似恋愛、全てフィクションだ。だから、女を買い続けることは、小説を書い続けることに似ている。物語の消費だ。感得できたのは、フィクションとしての女の肌触りだ。
好きな歌手のPVやDVDを見続けるように、現実の女をぼくは見ている。ここが昔からのぼくの指定席だ。
女に傷ついてもなおぼくは、女を見続けている。女を渇望する。
女はフィクションだ、女は虚構だ。そう思えば思うほど、現実の女が知りたくなる。
もっと楽に、気楽に女と付き合えればよかった。そうすればこんな、フィクションなんて装置を、発明することなんかなかったのに。
女は遠い。女が遠い。
本物の女と言葉を交わしたのは、最後に本物の女に触れたのはいつのことだったろうか?仕事においてではない女と。
日常生活で当たり前のように女と話す。日常生活で当たり前のようにそばに女がいる。それはどういうことなのだろうか?当たり前のように一人でいるぼくにはわからない。
女は遠い。女は最も他者だ。
百万光年進むのに、ぼくの肉体は耐えられない、消し飛ぶだろう。
女は遠い。女は過去だ。
今日も見るだけ、思い出すだけ。
女はフィクションだ。
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