『一庶民の感想』16 政治家という仮面、大衆、庶民

 相変わらず日本政治が酷い。国民が重税と経済、財政政策の誤りによって貧窮に苦しむ中、自民党の幾人かの議員は、裏金を貰っておきながら党支部に寄付をし、所得税優遇措置を受けていた。また、ほとんど効果のない政治資金規正法改正案が衆議院を通ったりもしている。全くもって目も当てられない惨状だ。このままでは順調に日本は衰退し続けるだろう。

 さて、テレビやインターネットで政治家の顔を見ていると、あれ?と思うことが多々ある。国会で答弁したり、記者会見で話したりするときの顔が仮面を被ったように、作り物のように感じるのだ。笑っていても生気がない。怒っていても目が死んでいる。真顔であっても、どこか人工的で、まるで表情筋の機能がぎくしゃくしているかのようだ。ロボットよりも薄気味悪く感じる。そんな議員がたくさんいる。それは何故なのか?

 おそらく政治家は普段感情を抑圧している。余計なことを言えば悪評、弱みとなり、党のお偉方の意向に逆らえば干される。週刊誌に付け狙われ、各国の謀略の標的にもされる。そんな過酷な状況の中で、彼ら彼女らは無意識の内にも、自らの感情を押し殺すことを覚える。それは政界で生き抜くための必須スキルなのだろう。皆一様に機会的な表情で機会的な、あらかじめ決められた定型文をしゃべる。自らの心に渦巻く様々な感情を、顔でも言葉でも仕草でも表現できないのだから、無理矢理抑圧された感情が貼り付けられた表情の下で波打つ。無表情な、仮面のような皮膚がぼこぼこと感情の波で揺れているようで、とても不気味だ。

 日本の政治家のほとんどが、嘘をしゃべっていることは自明だろう。局面局面によって自らの主張を変え、大衆にウケるような発言、身振り手振りを繰り出す。一方の大衆は自らの不満解消と変革を、その政治家に重ね、無批判で熱狂する。日和見で内容のない政治家を、熱病に侵されたように支持し、反対者たちを槍玉に上げ、罵る。マスメディアもそれに加担する。そうして無内容なイメージだけの事実に基づかない虚像の政治家は、選挙を勝ち抜いてゆく。それが特に平成日本の政治史だった。典型例は小泉純一郎や小池百合子だ。彼ら彼女らのおかげで、またそれを支持した大衆のおかけで、一体どれほどの庶民が苦しみを味わうことになったのか。その詳細は別の機会に書きたいと思う。

 感情を抑圧し、機械となった政治家は、大衆の不満を一身に受け入れる大きな器となる。そしてその不満が溢れるくらいに溜まったとき、政治家は一転して感情を豊かに、顕に表現するようになる。

「みなさんの不満はよくわかりました!私はずっとみなさんの声を聞いてきました。もう我慢しなくて良いのです。私にこの現状を変えさせてください!有権者のみなさん、どうかお願いいたします!」

政治家たちは選挙カーの上で絶叫する。その姿に熱狂し、歓声をあげ、拍手を送る大衆。

 だがほとんどの場合、大衆の不満をつくりだしたのも、大衆の不満を利用するのも、同じ政治家なのだ。政治家は会う人、機会、世論に合わせて仮面を付け替えているだけだ。仮面の付け替えが、変面師のように早いので、容易に気付かないのである。

 民衆にとって悪いシステムは容易に変わらない。それによって得をする人間が、既得権益を守るために頑強に反発してくるからだ。不満の源泉を解消し、より良い社会を築いていくためには、何十年何百年に渡る不断の努力と闘争が必要だ。破壊は一瞬で起こり、建設は難事中の難事だ。だがその難しい建設へと向かわなければ、未来はない。

 不満や苦しさを一瞬で拭い去ってくれるような英雄は存在しない。より良い未来を開くには、大衆が民衆へと変わり、個人個人が建設へ向けて不断の努力をする以外にない。真に偉大な人間は、庶民、民衆の中にしかいないのだ。

 粗悪な仮面を叩き割り、素顔のまま力強く生きて戦う人間を民衆、庶民というのだとぼくは思う。

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