『一庶民の感想』 14 孤独を楽しめるわけなんかねえだろ

 孤独は楽しめない。原理的に孤独は楽しめない。極上の孤独や、自分の時間を確保するなどという技術としての孤独は、孤独とは呼ばない。技術としての孤独とは、単なるライフハックだ。普段喧しく周りから何かを言われているから、たまには、少しくらいは他者から干渉されない、何をやっても何にも言われない、そんな時間が欲しい、それだけの話だ。技術としての孤独は、人と触れ合っている時間が主であることによって支えられている。簡単な例をあげれば、結婚した夫婦がたまの休日にはお互いにばらばらのところへ出かけて、お互いのことを気にしないですむように過ごすというようなことだ。彼ら彼女らの孤独は、パートナーシップによって支えられている。孤独がお互いの関係をより良くする手段として使われている、そのように言ってもよい。

 技術としての孤独はパートナーシップをより良くするための、あるいは、自分の時間を取り戻すための道具に過ぎない。

 一方、本質的、原理的な孤独とは、この世界で、この宇宙で自分はひとりぼっちだという感覚、自覚のことだ。周辺環境はあまり関係がない。あくまで内面的な、一種悟りに近似した感覚のことだ。宇宙空間に、何もない荒野に、自分自身が放り出され、そこを遊泳している、そのような姿がイメージされる。

 本質的な孤独は決して解消されることはない。それは、生命に本源的に備わっているからだ。本質的な孤独とは共に生きるしかないのだ。

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