小説 『長い坂』 第五話
愛とか恋とかそういうものが、人生で一番愛したあの人が、その愛が、受け取られることもなく散ってしまったとき、一生懸命に水をやって咲いた綺麗な花が、誰に見られることもなく、寿命を終えるとき、そのとても大切なものはどこにいくのだろう?
昼まで寝ていた。昨晩は昔片思いをしていた女性のことを思って泣いた。ぼくの短い人生の中で最も、激しく、心身が焼け切るくらい愛した人だった。何度かデートにも行き、告白もしたけれど、断られてしまった。その後すぐに彼女に恋人ができたけれど、ぼくの気持ちは変わらなかった。変わったのは彼女とその恋人の関係性だけだ。彼女とその恋人は今では夫婦で、子供も一人いる。ぼくが彼女を好きになったのは、もうずいぶん昔のことだ。大学生の頃だから、10年くらい前の話になる。もうとっくに気持ちが切れていていいはずなのに、ぼくは何故か昨晩泣いていた。心の奥底から悲しさと辛さが溢れ出てきて、どうすることもできなかった。ぼくの頭の中では彼女の姿が踊った。彼女の好きなところ、所作や話し方、声、髪の色、肌の白さ、声音、そういった細かなところまで鮮明に思い出せた。彼女に指一本触れることもできなかったのに、もう何年も会っていないのに、恋しくてならなかった。今日が日曜日で本当によかった。
まだ腫れた目で昼の窓外を見た。暖かな日差しがベッドまで差し込んでくる。太陽光が目に沁みる。掃き出しの窓を開けて空気の入れ替えを行った。深呼吸をする。感情的になるのは、きっと一人の時間が長いからだ。でも、大丈夫、もう慣れた。人間には向き不向き、メリットとデメリットがある。ぼくはきっと一人に向いている。感傷と寂しさと不意にやってくる思い出は、一人であることの自由の副作用みたいなものだ。大丈夫、大丈夫、俺ならやれる。胸の中で何度もそう呟くと、幾分気持ちが落ち着いた。窓を閉めて、服を着替えて、キッチンで顔を洗い、歯を磨いた。落ち着いて日常動作を繰り返すことで、自分を支えようとしている、そんな意識があった。腹が減ったので飯を食いに外へでた。
駅前へ行ってチェーンの牛丼屋に入った。適当に注文をして、5分くらいで食べ終わり、空いていた店を出た。土曜の午後の駅前は、うんざりするほど混んでいた。平日は見られない、子連れやカップル、学生の集団なんかが目に付く。少し暑くなってきた気温の中で、昔の仲間のことを思い出した。高校生のころ、大学生のころ、ぼくもああやって仲間と楽しく遊んだものだ。今ではそんなこと、めっきりなくなっている。日々の生活の中で、楽しいと思うこと自体がほとんどなくなっていた。社会人になって少し経てば、自分にも恋人が再びできて、30歳かそこらで結婚をして、子供もできて、家族のためにがんばって働く、小市民的な幸福な人生、ぼくはそういうものを想定していた。全部外れた。10年以上何をやっても恋人はできないし、金もない。友達はどんどん家族をつくっていくから、昔みたいに会って愚痴や文句を言えるような友達も、今じゃほとんど残っていない。孤独が年々深まってゆく。歳をとるとはこういうことかと、歳月が過ぎるたびにうんざりする。夢も希望も未来も努力も、もう全部消費期限切れだ。
駅前から歩いて自室に帰った。休日にやりたいこともやるべきこともどちらも思いつかなかった。ベランダの窓を開けて、街路樹のざわめきに耳をすませた。近くの雑貨店でロープを買ってこようと思った。それを使って、この部屋の間仕切りのドアノブで首を吊るのだ。それが一番良いような気がした。春の木漏れ日と木々のざわめきの中で自裁する。これほどぼくにうってつけのものはないと思った。
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