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小説 『長い坂』 第六話

 川べりに桜が咲いていた。花粉症で目が痒く、鼻は詰まり、頭がぼおっとしていた。仕事帰りに駅から自宅まで一直線には戻らずに、少し迂回をして川べりを歩いた。なんていうことはない、普通の景色だった。コンクリートで補強された人工の河岸、その上に桜の木が覆い被さるように植っている。枝が垂れて重くなった桜の木から、暗いコンクリートの川底に向かって花びらが落ちてゆく。その様をマスクをしたぼくは眺めていた。桜の木に外灯の光があたっている。生ぬるい春風。人のいない川沿いの遊歩道。こういう春の景色にぼくは慣れ親しんでいる、そう思った。

 不能者、桜を眺めながらふとそんな言葉が頭に浮かんだ。ぼくは女性を幸せにできない、その力がない。そういう確信がぼくの中にはあった。この確信はぼくの30数年の短い人生の中で、少しずつ育まれたものだった。恋愛、結婚、子育て、周囲の人たちが当たり前のようにやっているそれらのことが、ぼくにはできなかった。やろう、やろうと努力したこともある。それでも何らうまくいかなかった。そのうちにぼくは諦念というものを覚えた。神様はどうやら不公平らしかった。女性に対する愛と女性を愛する技術(資格といってもよい)、その両方とも喪失あるいは欠落していた。それはどんなに足掻いても変えられない、確固たる真実だった。

 桜の花びらがまた一つ舞い落ちた。これからは一人で生きて、一人で死んでゆかなければならない。他者と肌触れ合う機会も絶無となるだろう。使い道のなくなった性欲が、腹の底で泣いている気がした。人は最後はみんな一人さ、とかほざいている奴がいる。何にもわかってない奴の戯言だ。奴らは本当の孤独を知らない。本当の孤独とは、これから先ずっと一人でいなければならない、誰とも肌すら触れ合うことはないと確信することなのだ。つまり、最後の短い時間ではなく、そこへと至る過程も全て一人であるということだ。常人に堪えられるだろうか?

 ぼくは気が狂っているのかもしれない。

 人工の川のせせらぎが聞こえた。嫌な気分で胸がいっぱいになっている。軽く頭を振って、気持ちを変えようとした、無駄だとはわかっていたが。辺りに人気はない。しんとした夜だった。初めて付き合った女性と寝た夜も、こんな夜だったような気がする。彼女の家に泊まって、ぼくは初めてセックスをした。挿入ではいけなくて、口で射精させてもらった。彼女は口の中の精子をティッシュペーパーに吐き出し、台所で口をゆすいだ。その後二人で抱き合いながら、おそろしくつまらない少女漫画原作の映画のDVDを見た。映画はつまらなかったが、そのときのぼくは確かに幸福で包まれていた。彼女の小さな体から彼女独特の香りが漂い、ぼくは再び勃起した。映画の途中でもう一度交わった。こんどはしっかり彼女の中で射精できた。終わった後コンドームを外し、彼女とキスをした、何度も何度もキスをした。そうして彼女が眠ってしまうのを待ってから、外へ煙草を吸いにでた。そのとき、彼女の住んでいた古いマンションの敷地内で桜の木を見た。夜空を覆うように、街灯の白い光に照らされた桜の木がとても美しく感じられた。ぼくは白い煙を吐きながら長い時間その様を眺めた。

 月の下で桜の木はきれいだった。ひんやりとした諦観がぼくを包んでいた。外灯の周りに小さな虫たちがたかっている。ぼくはビジネスバッグの中から煙草をとりだした。ボックスの中から一本をとりだし、100円ライターで火をつける。深く煙を吸い込んで、吐き出した。ため息に似た音が漏れた。どう足掻いても1人きりだ、これまでも、これからも、再びそう思った。遠くで車の走る音がする。奇跡は起こらない。偶然もありえない。必然的にぼくは一人だ。ぼくは一人だ、ぼくは一人だ、ぼくは一人だ…。

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