関ヶ原の戦いで大谷吉継がカッコいい

こんばんは。
吉田です。

今日は関ヶ原の戦いで西軍に属して戦った、大谷吉継について語ります。

1.石田三成との友情


彼は豊臣家の大名で、あの豊臣秀吉からも認められています。

病を患っていて、崩れた顔を隠すために白い布を覆っていたと言われていて、ドラマやゲームで登場する時は、非常に目立つ格好をしています。

共に豊臣秀吉に仕えていた石田三成とは仲が良く、徳川家康と戦うことを決意した三成に対して、無謀であると反対したものの、最後は一緒に戦うことにしました。

自分が成り上がる為に親兄弟とすら戦うこともあるこの時代に、友情の為に戦うのは非常に珍しく、彼らの友情は良く美談とされています。

2.関ヶ原の戦い

さて、本番の関ヶ原の戦いでは、裏切りが予想される小早川秀秋の近くに布陣しています。

小早川秀秋の裏切りが起こり、近くにいた吉継の軍に襲いかかりますが、吉継とその軍は強く、倍近い兵力差を覆えす勢いで反撃します。

その後、他の武将の裏切りもあり、とうとう負けが決まってしまいました。
ここで、吉継は配下の者達へ金を分け与えて、それぞれ逃げて生き延びろと言います。

しかし、吉継を慕う配下の者達は、逃げることを拒み、最後まで吉継と戦うことを望みます。

この時に吉継は病気で視力を失っていた為、「もう、お前達の顔も見えない。1人1人、名乗ってくれ。」と言ったところ、「〇〇です!」と名乗った者から敵に突撃して行き、皆が壮絶な最期を迎えたということです。

3.まとめ

吉継の魅力についてですが、まず友情を大切にしていたことが挙げられます。
聡明な吉継は、三成では家康に敵わないことを分かっており、最初は説得を、その後は友人に最後まで付き合うことを選んでいます。

次に配下から慕われていたことです。
吉継の軍は少数でしたが強かったのは、義継への高い忠誠心があったからだと思います。
吉継も私財を分けて皆に逃げるように言ったことから、部下をとても大切にしていたことが分かります。

侍ならば最後まで戦うのは当然だと思う方もいるかもしれませんが、この時代では旗色が悪ければ逃げたり、裏切ったりする方が多かったのです。
現に、関ヶ原の戦いでも、多くの武将が東軍へ寝返っています。
戦いとしては東軍が勝っていますが、印象に残る活躍をしているのは、ほとんど西軍です。

今の時代でも、吉継のように友達や部下を大切にする人ならば、やはり周りに人が集まるのではないでしょうか。

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