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どうする家康? 秀吉との戦況を織田信雄に尋ねる――Museum Collection #5 静岡市歴史博物館

全国の美術館・博物館が所蔵する古今東西の名品を、学芸員の解説とともに紹介する「ミュージアム・コレクション」。
『本郷』166号よりお届けします。

どうする家康? 秀吉との戦況を織田信雄に尋ねる                  

  静岡市歴史博物館は、二〇二三年一月十三日にグランドオープンし、徳川家康と今川氏、近世の東海道と駿府(すんぷ)城下町、近代の静岡藩を中心に、静岡市の歴史を紹介している。今回は静岡市が新たに入手した家康の書状を取り上げる。
 ここでは、家康が織田信雄(のぶかつ)の家臣・飯田半兵衛尉(いいだはんべえのじょう)に宛てて、羽柴秀吉(はしばひでよし)との戦い(小牧・長久手合戦)に際し、信雄軍の動向を尋ねている。飯田に信雄への披露を依頼しており、実際は信雄に宛てた披露状である。家康が信雄に対してへりくだった態度をとっており、当時の両者の関係を窺い知ることができる。
 なお、同日付で家康は織田長益(ながます)・飯田半兵衛尉ら信雄家臣の五名に対し、同内容の書状を送っており(「譜牒余禄五六」『新訂徳川家康文書の研究』上巻八二二頁)、本文書はこれに関連した新出文書である。『新訂徳川家康文書の研究』の解説文によれば、この時に家康は尾張国清須(愛知県清須市)、信雄は居城の伊勢国長島(三重県長島町)にそれぞれ在城し、美濃国大垣城(岐阜県大垣市)の秀吉と対峙していた。この時の戦況は膠着しており、十一月に信雄と秀吉が和議を結んでいることから、本文書は信雄の動向を案じた家康が、信雄の近況を尋ねた書状として評価できる。
            (すずき まさのり・静岡市歴史博物館学芸員)



●徳川家康書状
天正12年(1584)8月26日付 飯田半兵衛尉宛
縦33.0㎝×横50.8㎝

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