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いつからお母さんになったのか

いつからお母さんになったのか思いだしてみたけどわからなかった。

少なくともあの子を産んだ15年前の今日、わたしはただの女の子だったと思う。欽ちゃんの仮装大賞の得点みたいに毎年お母さん度が上がっていったのかな。なんとなくそんな気がしている。

ということは紛れもなくわたしはいま、
お母さんだと自分のことを思っている。

爪に色を塗ったりしない。
派手なメイクをしたりしない。
ヒールを履いたり、赤ちゃんに好ましくないテレビ番組をつけたりしない。
香りの強いもの、色の濃いもの、
硬すぎるもの柔らかすぎるもの、
暗すぎる場所明るすぎる場所、
いろんなことに禁止事項をだして、わたしはお母さんになった。それがお母さんだと思っていたから。

赤ちゃんを人に預けるなんてできなかったし、赤ちゃんを預かってもらうほどのできごともなく、わたしはあの子にぴったりくっついて暮らしていた。

いつもあったかくて、
いつも少しだけさみしかった。

そんなところから15年。

びっくりする長さの時間がたち、ママ今日は早く寝なねとか言ってハーブティーを淹れてくれる子がいる。あの子は本当にあのときの赤ちゃんなのかな?

疑いながらハーブティーを飲み、ばかみたい、と思う。あの子に決まっているのにばかみたい。

でもどういうわけか、ここまでの過程がうまく思いだせない。あんなに、この子のことしかしてこなかったのに。 

あの子は今年もまた、オーボンヴュータンよりもママのケーキがいいと言って出かけた。待って、ママはオーボンヴュータンがいい、と言う隙もなく、慌ててたまごと生クリームを買いに走り、ケーキを焼く。

一年に一度しか焼かないから、すっかり前のことを忘れててなんにも上達しない。

でもとりあえず丁寧に。
書いてあることに忠実に。

隣では、7歳が15歳にバースデーカードを書いていた。

横目で見ると、「これからも家族でいてね」と書いてある。ずいぶん大人びたことを書くなあと思っていたらそのあとに、「この間まで中2だったのにもう高校生ですね、早いですね」って、親戚のおじさんみたいなこと書いていた。

何度も消した跡のある、鉛筆の文字。
今まででいちばんじょうずな「あ」が書けたらしいが、消し跡の上でなんだかもったいない。

もうちょっときれいに書いてきれいに消したらいいのにと思っていたら、寝しなに15歳が言った。
「カードさ、感動しちゃった。こう言ったら失礼だからあんまりよくないけど、字もそんなにじょうずじゃないじゃん?でも一生懸命書いてるのが伝わってきて、嬉しかった」

子どもはいつ大人を抜かすのだろうね。
ひょっとしたら、ずっと抜かれていたのかな。

なんだか今日、わたしの役目はもう終わった気がしたよ。

なんとかケーキを焼く役割だけで、
もうあなたを強すぎる光から守らなくていいし、
うるさい音に耳をふさいでやらなくてもいいし、
あなたを抱いて走らなくてもいい。

ねえ、お母さんに終わりはくるのかな。

もしくるんだとしたら、
それを知らずに死にたいな。
あんなになりたくないと思っていたのに、
わたしはずっとお母さんのままでいたいよ。

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