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5月7日

今日は自分語りということでね。頑張って書いていきたいと思います。

まず前置きしておくんですけど、普通にさらーと流して読んでもらって構いません笑 理解しようと思わなくて大丈夫です。人それぞれ色んな人生があるし、苦しみは経験をした人にしか分からないから。悲劇のヒロインぶってるとかネガティブすぎるとかは自分でも重々承知なのでね、そこは温かく見守っていただけると嬉しいです。

さてと。十分に理解してもらったところで本題に入っていこうかなと思います。

えーと。自分で言うのもなんですが、私は世間一般が言う普通の人生は送ってきてないです笑まあ普通の基準は人それぞれだし、そもそもこの普通という考えが苦しみの原因ではあるんですけど、今回は置いといて、黒歴史of黒歴史を語っていきます( ´ཫ`)

私は3歳離れたお姉様と2歳離れた弟君がいます。小さい頃から、お姉様は何でも出来て常に落ち着いている人。私は正反対の性格で、外に裸足で出て走り回るようないわゆるお転婆さん。この関係は今でもあまり変わってないように思う。

兄弟がいる人はわかると思うんだけど、やっぱり人って自分が1番でありたいでしょ?それが顕著に現れるのが愛情の取り合い。兄弟間の競争はいつも激しい。私だけを見て!と思うことはあってもなかなか愛情の独占は出来ないから、何とかして注目を集めようと色々頑張るんだと思う。

私はそうだったし、なんなら今でもそう。私は、親の注目を集めるためにいい子ちゃんになろうと頑張った。お手伝いを進んでしたり、犬の散歩をしたり、とにかくいい子になろう。褒められたい!と思うようになった。

だけど、お姉様みたいに勉強はできない。お姉様の真似をして始めた習い事も中途半端。小学4年生から塾に通ったのに、中学受験失敗。恥でしかない笑  お姉様は小学6年生の秋から塾に通って中高一貫のトップ校に合格。

お勉強は元々好きじゃなかった。というか好きなことにしか興味が無いから、ひたすら国語と社会の勉強をしてた。塾自体自分に向いていなかった気がする。仮病を使って何回も塾休んでたし笑

そんな私でも、勉強が大好きな時期があった。中学2年生の学年末考査で初めて1番をとった時、私のお母さんも先生もすごく褒めてくれた。だからそれが嬉しくて、勉強に一日のほとんどを費やすようになった。私にとって、褒めてもらえることは自分の価値が客観的に評価される唯一の手段であったし、何より親が私に笑顔を向けてくれている間は安心することが出来た。

お姉様と比べて貴方はできない子ね。遊ぶことしか出来ないんだから。

いつもダメな子側だったから、本当に嬉しかったし努力することはいいことなんだ!と純粋に思えていた。いいことばかりだと思っていた。先生の期待も親からの期待もたくさんかけてもらえて、いっぱい褒めてもらって。だけど、だんだん頑張らないこと、特に成績が下がることに対して恐怖を感じるようになった。

周りの期待に応えなきゃいけない。考査の点が下がると、あれ?今回はどうしたの??と声をかけられる。先生や親が私を見てくれるのは、成績がいいからであって、もしそうじゃなければ、私には価値がない。本当にそう思っていた。

親が教育に厳しい人で、怒られないためには勉強をきちんとしていい点を取らなければいけない。

いい子にしていれば、親の言う通りにしていれば怒られることはない。手のかからないいい子と褒められる。

こうして親は先生の期待通りのいい子ちゃんに一生懸命なろうと思った結果、不登校(?)になった。

中学三年生の時は、ほとんど学校に行ってない。行けなかった理由は他にたくさんあるんだけど、これは親しい友達しか知らないことだからここで書くことはしない。時期が来たら、いつか話そうと思う。

高校受験は、推薦を貰って何とか合格することができた。これは本当に中学の担任の先生と高校に校長先生に感謝しかない。高校もあまり上手くは通えなかったんだけどね笑


私の中では、まだ解決していない問題がまだまだ沢山あって、今でもそれに縛られているからそろそろ向き合っていかないといけないなと思っている。

このnoteで少しずつ自分の思考とか根本の考え方の歪みを直していけたらいいと思う。

思考の歪みはなかなか自分では気づきにくいから、コメントに意見とかアドバイスを書いてもらえると嬉しい。

今日は内容が重すぎて疲れた。思い出すだけでもかなり体力を使うからね。全然深くまで書いてないけど許してください(--;)

今日はここまで。長文読んでくださってありがとうございました。こんな長文を書いた私も、読んでくれたあなたもお疲れ様でした(笑)



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