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人間関係構築ができないSNSの問題をどのように解決するのか

AIを超えるGI創造者、よしじゅんです。

いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。

今日のテーマは「人間関係構築とSNSについて」です。

最近このようなニュースを見ました。

2000年代初頭から本格的に普及し、今や私たちの生活に欠かすことができなくなったSNS。
(中略)
野村総合研究所が今年2月に発表した調査結果でも、15~25歳の50%が「SNS疲れを感じる」と回答、2人に1人はSNSで疲弊している実態が明らかになった。
とはいえ、SNSを生活から切り離すのはそう容易なことではない。「SNS疲れ」を起こさず、上手に付き合う方法はあるのだろうか。
公認心理師の川島達史さんに話を聞いた。
人間関係は結構曖昧なところがあると思う。(いいね数など)数字になるとリアリティが増して自分の人気が可視化されるので、そこで傷つくケースがある」
(中略)
「自己肯定感の不足がある人は『承認欲求』が出てくる。例えば、お腹が減っているときにご飯を欲するのと同じで、自己肯定感が不足している状態は人の承認がすごく欲しくなる。それが他の“キラキラ女子”を見ると、自分の肯定が奪われたような気持ちになっているので、イライラしたり嫉妬したりしやすくなる」
 承認欲求は「他者から認められたい」「自分を価値ある存在として認めたい」という願望。あること自体は当たり前だが、強くなりすぎることで自らを客観視することができなくなり、他の人を傷つけてしまう弊害もあるという。

https://news.yahoo.co.jp/articles/450ee8cd3fa3bfe113989887233b0032bdc9935a

過剰な承認欲求によって、SNS疲れを起こし、良好な人間関係、深い人間関係を構築することとは程遠くなってしまっていることがうかがえます。

私がSNSを日常で使うようになって、もう10年以上たちます。最初に使い始めたのはmixi、そのあとFacebook, Twitterと主に使うSNSは変化してきていますが、ここ5年くらいよく見聞きするのが「SNS疲れ」「SNS上での誹謗中傷」です。

SNSとは、Social Network Serviceの略で、直訳すると「社会的つながりをつくるサービス」とでもなるでしょうか。

つながりをつくる、と言っておきながら、疲れ、誹謗中傷というのは本来のサービスが果たしたい目的を果たせているようには思いません。

では、なぜSNS疲れのような現象が起きてしまうのでしょうか。

そこには「言語の問題」が関わってきます。

いきなりですが、「動き」と言うとき、何が動くと思いますか?
オートで「存在」が出てきませんか?

人間は「動き」と言えば、自動的に「存在が動く」イメージに固定してしまっています。
雨が降る、花が咲く、旗がなびく、etc…

「模様や形が固定している赤いボールペンが実在していて、そのボールペンがどう動くのか?」
そのような存在の動きを表すSV言語を日常でたくさん使います。
そしてSV言語を使って、あらゆる宗教・哲学・数学・科学・政治・経済・倫理道徳をつくりあげてきたのが人類歴史です。

【参考】主語Sとは?文において、述語の示す動作・作用・属性などの主体を表す部分。「鳥が鳴く」「山が高い」「彼は学生だ」という文で、「何が」に当たる部分をいう。

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%e4%b8%bb%e8%aa%9e/

【参考】述語Vとは?主語について、その動作・作用・性質・状態などを叙述するもの。「鳥が鳴く」「山が高い」「彼は学生だ」の「鳴く」「高い」「学生だ」の類。

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E8%BF%B0%E8%AA%9E/

では、模様も形も固定したボールペンが実在すると言えるのでしょうか?
1日前、1年前、10年前、100年前、1日後、1年後、10年後、100年後、ずっと模様も形も全く変わらないことがありえるでしょうか?
ボールペンの形になる前もあったし、経年劣化して変形したり、ゴミとして捨てられ燃やされボールペンの形状をしなくなることもあります。
ボールペンが実在するとは言えません。

主語Sが実在せず、固定もできず変化することは、本物の主体が何かを規定できないという意味です。
つまりSV言語を使う時点で、偽物の主体が無限にあって、その偽物主体の動きVも無限にあります。

Sも無限、Vも無限、S+Vの組み合わせも無限、これでは複雑すぎて、人間が何なのか、心が何なのか、宇宙が何なのか、整理整頓が難しくなるのも仕方ありません。

宗教・哲学・数学・科学・政治・経済・倫理道徳が悪かったわけではなく、「SV言語」に限界があったのです。

では再びSNSの話に戻りましょう。

多くのSNSでは文字を使っています。ですから、人の投稿を文字で見たり、自分の投稿を文字で行います。

言語の問題について語った通り、実在するSも実在するVもないのですが、Sも固定させ、Vも固定させ、そこに意味価値をつけて勝手に喜んだり、落ち込んだりしているのがSNS疲れを引き起こしている原因だと言えます。

SNS疲れは表面的な現象にしかすぎず、根本的には「言語の問題」から派生した問題なのです。

だからこそ「存在が動く」SV言語から
「動きによって存在するように認識させる」1・5・1デジタル言語への言語革命が必ず必要です。

なぜならば、本物主体1だけがあるところから複雑なSVをすべて整理整頓できるのが1・5・1のデジタル言語だからです。

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