見出し画像

1.17 安田君と山口君


 今朝の読売新聞オンラインに、友人の記事が載っていた。

 それは今、芸人をしている安田大サーカスの「安田くん」のことでもあり、小学校時代の同級生であった「山口くん」のことでもあった。

https://www.yomiuri.co.jp/national/20210116-OYT1T50203/

 1月17日は、阪神淡路大震災が起きた日だ。安田大サーカスの団長、安田くんは、震災で亡くなった山口くんのことをずっと思いながら、今を生きているという記事だった。

 26年前のあの日、僕、ヨシイエはすでに京都の大学に進学していて、下宿のアパートで揺れに遭遇した。幸いなことに京都では大きな被害はなく、早朝からテレビで事態がどんどん大きくなる様子を、何もできずにただ見ているのみだった。


 安田くんがヨシイエのことを覚えているかはわからないが、幼少の頃から家が近所だったので、よく一緒に遊んだものだ。当然小学校も同じクラスになることも多く、同級生だった。

(もっとも、この吉家孝太郎という筆名では、安田くんとて僕が誰かわからないかもしれない)


 小学4年生か5年生の頃だったと思う。安田くんとヨシイエが放送委員になって、二人でお昼の校内放送を担当することになった。安田くんはせっかく放送委員になったのだから面白いことをやろうと、嘉門達夫さんの「アホがみるブタのケツ」のカセットテープを持ってきて、これを放送でかけよう!とヨシイエに密談した。

 ヨシイエも面白がって、一緒にそのテープを放送でかけたのだが、後で先生に「なんちゅーものをかけるんだ!」とこっぴどく叱られた思い出がある。

 思い返せば、安田くんはその頃からすでに、お笑いが好きで、芸人になるべき素質を十分に持っていたと思う。サッカー少年だった彼は、その後自分の進路にいろいろ悩みながら成長してゆくのだが、それは僕も同じで、こちらも中学校になると別の土地へ引っ越してしまったし、それきりになっていた。

 ただ、安田くんがテレビで活躍しているのを、いつも心のそこから応援していることには間違いない。


 山口くんとも、当然ながら小学校の同級生で、よくよく知った間柄だった。そういう仲間が何人かいて、今も僕らの出身地の西宮には、懇意にしてくれる友人がいる。

 震災からしばらくして、山口くんが亡くなった話を、その友人づてに聞いた。記憶の中では笑顔しかない山口くんが、もういないのだという事実は20歳そこそこのヨシイエには十分にショックだった。

 それから、「山口くんが生きることができなかった人生を、自分はどう生きるのか」ということが、ずっと心にある。苦しい時には、おのずと彼のことが思い出される時もある。彼の分まで、僕らはしっかり生きねばならない、ということが、支えになっていると思う。

 こういう気持ちは、阪神の震災であれ、東北の震災であれ、あるいは他の災害であれ、親しい人を失ったことがある者には、誰にも芽生える気持ちなのかもしれない。それはまさしく、僕らにとっての心の糧となっている。


 今日の記事を読んで、安田くんもまた山口くんのことをしっかり思いながら生きていることを知った。同じ時間を生きた友が、また友のことを思いながら今を生きているということが、嬉しかったし、胸を打った。

 山口くんのことは、あの日から時が止まっている。けれど、僕らはいま、またしてもいろいろな災いや禍に直面し、過去のことではなく、現在のことでもあり、未来のことでもあると思う。

 僕が今日をしっかりと生き、安田くんが活躍し、友人たちが頑張っていることが、すべて山口くんとの時間に繋がっているのだということを思うと、コロナなどには負けられない。

 そんな決意をした1.17を、ここに書き残しておこう。


(おわり)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?