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ハロウィーンの起源はケルトの新年の祭

前回の続きです。カレンダーに関連してハロウィーンについて見ていきましょう。
 日本でハロウィーンというと、ここ15年ほどですっかり定着した感がありますね。アメリカ合衆国の「トリック・オア・トリート」と唱えて子どもたちが訪問先でお菓子をもらうのが本場の祭りのようにイメージしますが、本来はアイルランド、スコットランドからやってきたケルト系移民が伝えた祭りです。

ケルトの祭、サウィン祭

 ケルトの暦では、1年を四つの季節[1]に分けていました。
 イムボルクImbolc「(雌牛の)お腹の中」と呼ばれた2月1日、ベルティナBealtaine「輝く炎」と呼ばれた5月1日、ルーナサLughnasadh「光の神ルーの集会」と呼ばれた8月1日、サウィンSamhainn「夏の終わり」と呼ばれた11月1日によって各季節が区切られ、それぞれの日に宗教的祝祭を行っていました。
 現在アイルランドでは、そのすべての日が祝日となっています。
サウィン祭新年を祝う祭りであり、この日は冥界と現世との境界が取り払われ、死者が現世に帰ってくるとともに、人間も冥界を訪れることができると信じられていました。

彼岸から帰って来る英雄たち

 アイルランドの伝承によると、西の海の彼方にある常若の国(ティル・ナ・ノーグ)には、この世を去った英雄、ク・ホリンやアーサー王たちが永遠の生を得て楽しく暮らしているとされています。そして、一年に一度、サウィンには従者とともに馬で丘を一周して行くのです。
 また、11月1日には神々に食物を供える慣習があり、豊穣神ダグダへの崇拝を表しています。つまり収穫祭としての性格があります。

仮装と訪問

 仮装することもサウィン祭の一部でした。スコットランドやアイルランドでは仮装して集落を回り、食べ物と引き換えに歌や詩を朗読しました。これは、死者の魂や妖精(目に見えない存在となったダーナ神族)に仮装して、彼らに代わって供物を受け取った伝統から発展したものです。また、仮装することは彼らから身を守ることにも役立つと信じられていました。
 スコットランドでは、仮装した若い男性が集落を回り、歓迎されなければ悪さをすると脅すこともあったようです。
 これらの伝統が、現在のハロウィーンのメインになっています。

サウィン祭からハロウィーンへ

 このサウィン祭がカトリックに取り込まれたのがハロウィーンHalloween(またはHallowe’en)「万聖節の宵祭り」です。現在、公式見解によるとハロウィーンはカトリックの祝祭とは無関係とのことですが、All Saints’ Day「諸聖人の日」を11月1日に移動させたのはカトリックなので、異教徒の取り込みに使われたのは明らかです。
 ハロウィーンは、かつてスコットランドでAllHallow-evenと呼ばれていました。hallowは古英語のhālgaが語源であり、「聖人」という意味です。-eenまたは-e’enの部分はeven「宵」のことであり、vが省略されています。クリスマス・イブのeveと同じ意味ですね。ケルトの暦は日没後から始まるので、サウィン祭は日没後(10月31日)から始まり、翌日没(11月1日)まで続きます。
 ハロウィーンに幽霊やゾンビの格好をしたり、ハロウィーンのアイコンであるかぼちゃでできたおばけ提灯、ジャック・オー・ランタンが飾られたりするのは、このようなケルトの世界観が背景にあるためです。

 何となく日本のお彼岸と似たような世界観が感じられますね。
 また、ケルトの神話には浦島太郎とそっくりの話が伝承されており、日本と何らかの関係があったのかもしれないと想像が膨らみます。


[1]サモンとギアモンの二つの季節に分けられる、との記述が日本語サイトにあるが、英語サイトでは四つの季節に分けるとの記述しか見られなかったので、こちらの説を採用した。


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