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[フォロー数:フォロワー数]は[50:1000]くらいが丁度いいと思う理由

フォローさせてもらってる南葦ミトさんの投稿に背中を押してもらって、今日のnoteを書いてます。

実は長らく下書きとして眠っていた記事なんですが、こんなこと書いていいだろうか?とどこか迷いがあって出せずにいました。でも出しちゃいます。

noteとかInstagramとかTwitterとかSNSの種類にもよって違いはありますが、個人的にフォロー数とフォロワー数の比率は50:1000くらいが理想じゃないかと思っています。

理想・・・って言うとなんか違う気もするんだけど、究極的にはそれくらいの割合になってくもんじゃないのか?と思っているところがあります。

今日はそんな理由をお話しできればと。

フォローの基準ってある?

あなたがnoteやInstagramやTwitterや何やらでフォローするときの基準って何でしょうか?

他人に訪ねておいてなんですが、僕は明確な基準があるわけではありません。ただその人のいくつかの発信に触れて「この先も追ってみたい」と思ったらフォローする。それだけなんです。

それから、フォローしている人の発信は全部読みたい。できるだけ。現実的にはなかなか難しかったりするんだけど、そういう想いを持っています。だから、自分が読み切れないほどの数はフォローしないことにしています(特にnoteでは)。

ところで、”フォロー”ってすごい広い意味がありますよね。辞書的には、

フォローとは、「追う」「従う」「関心をもつ」「傾聴する」などのような意味を持つ英語であるが、IT用語としては、Twitterをはじめとするソーシャルサービスにおいて、他のユーザーの動向を知ることができるようつながりを得ることである。特にTwitterにおいては、対象ユーザーのツイートを受信するように登録すること、および、そうしてツイートを受信している状態のことである。(weblio.jpより引用)

などと書かれています。IT用語的には自分のタイムラインにフォローする人の投稿を表示できるようにすることをフォローと言うに過ぎないわけですが、実際に”フォローする”ボタンを押すときには、人によっていろんな感情がのってくると思います。

「見るだけ」もフォローのひとつの在り方だし、「積極的に関わる」のもひとつの在り方です。僕はどちらかと言うと、フォローという言葉に後者のイメージを持ってるんだと思います。

なぜフォローする人数が50人なのか?

これはもう、できるだけフォローしている人の発信を読もうと思うと、せいぜい50人くらいが限度なんじゃないか?と思うからです。

フォローする人の更新頻度にもよるので一概には言えませんが、本記事投稿時点で42人の方をフォローさせていただいていて、毎日2~3記事読めるかな~っていう感じです。

僕自身は毎日投稿する人ですが、フォローする人が全員毎日投稿する人だったら、毎日42記事読むことになるので、たぶんそれは無理ですね。

もちろん毎日確実にnoteを読む時間が取れるわけでもないので(書く時間は最優先で確保していますが)、読みたい気持ちはあるけど全部読んでるわけではありません(スミマセン…)。

フォローさせていただいている方々のアクティビティの状況も日々変化されてると思います。更新頻度は低いけど投稿されたときにはぜひ読みたいと思う人もいれば、定期的な投稿を楽しみにさせていただいている方もいます。

フォローする人にもいろんなタイプの方がいらっしゃるので、50人という数字にあまり厳密な意味はないのですが、この後説明するフォローされる数との対比として、50人という数字を出しました。

なぜフォローされる人数が1000人なのか?

これは、ずーっと発信し続けていればそれくらいになってくんじゃないか?という根拠のない感覚的な数字です。(そんなのばっかでゴメンナサイ)

僕の場合で言えば、1年ちょっとnoteを毎日書き続けてきて、フォローしていただいている人数は今日の時点で119名です。SNSのフォロワー数という観点では決して大きな数字ではないと思います。

中にはフォロワー数という数字にこだわりを持って、これをとにかく増やすために活動されている方もいらっしゃると思います。それは個人(あるいは組織)の志向の話なので僕がとやかく言うことではありません。

僕個人としては、フォロワー数は多けりゃ嬉しいなとは思いつつも、その数字にはこだわらず、淡々と発信し続けるというスタイルです。

僕自身は子育てとか、田舎暮らしのこととか、これからの働き方のこととか、日々感じたことをけっこう雑多に書いています。フォロワーの方それぞれが、僕のどこか一部分に共感してフォローしてくださってるんだと思います。

それはありがたく感謝申し上げるところですが、その共感が必ずしも双方向であるとは限りません。って言うか、その必要はないと思っていて。

よく「100%フォロバします!」って文言を見かけるのですが、これって完全にフォロワー数を増やしたいという数字にこだわってる人が書くことですよね。

そういうスタイルを否定しているわけではなく、僕はフォローされたらフォローする、という必要性はないし、でもたまたま相思相愛で共感しあえる人に巡り合えるかもしれないし。

そんなこんなでずーっと発信し続けてたら、フォローする人よりフォローされる数はいつの間にか増えていて、タイトルにも書いたような50:1000くらいの比率になってるんじゃないか?と思うってことです。

みんなが50:1000になると思う

自分の発信スタイルを誰に押し付けるつもりもありませんが、もし「フォローする」ということを「その人の発信を追い続ける」という風に捉えるとして、フォロワー数を意図的に増やすテクニック(フォロバとか)は使わないとしたら、みんなが50:1000くらいな感じになってくんじゃないかなぁ?と思ったりします。

それは数字だけの話で、時間の移ろいとともに価値観が変化したり知りたい情報も変わってきたりしてフォローする人・される人が変わっていくとは思いますが、だいたい50:1000くらいの感じは変わらないんじゃないか?というのが持論です。

そうしなきゃいけない、って話でもないし、ただ僕はそう思うってだけです。

もしみんながみんなそんな感じのフォロー数:フォロワー数になって、フォローされている数だけきちんと発信が伝わっていると完全にわかるとしたら、それってすごいことだなって思うんですよね。

誰もが自分らしく発信して、その内容に本当に共感したり応援したいと思ったりする人たちだけがフォロワーとして登録してくださり、すべての発信と言わずとも、その人に響く発信だけでも毎回読んでくださるとしたら。

それだけで、誰もが生きていける社会にもなり得るんじゃないか?とまで思ったりもするわけで。つまり、本当に信頼してフォローしてくださっている人しかいないとしたら、100円のnoteをぜひ買ってくださいと言ったときに、みんな買ってくれるわけです。

それが誰もがお互い様の状況になれば、それが本当の意味で信頼をベースにしたベーシックインカム的な感じにもなるかもしれないなーなんて思ったりして。

すみません・・・この辺はまだ考えが煮詰まってなくて何言ってるかわからないと思われたかもしれません。承知の上で書いてます。

要するに本当の信頼関係とかそういうのがフォロー数:フォロワー数という数字にも表れてくるような環境になったらいいなって話です。

3,000字近く長々と書いた上に最後うまくまとめられてない感じがありますが、本当の意味でフォローする、フォローされるって関係づくりをnoteや様々なSNSの中でも築いていけたらいいなって思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

このnoteは、日々の暮らしのことや、小さな気づき・学びを綴っています。僕の日常のひとコマがあなたの行動のきっかけになればうれしく思います。
この記事の表紙画像は ijmakiによるPixabayからの画像 をお借りしました。ありがとうございました。



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