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Web3とはなにか - インターネットの変化、実世界の変化から考える(3):資本主義、民主主義の変化とWeb3

Web3について、インターネットサイドから考える第1回、10のポジションと言及に触れた第2回、今回は、主題にもなっている実世界、インターネットと対比した、実社会の変化からWeb3を考えてみたいと思います。

10のポジションと言及で触れたようにそれぞれの言及はあれども、Web3はWeb2に対するカウンターカルチャーとして生まれてきたものである。「Web3とは」で検索すると概ねこのような言及にたどり着くと思います。

今回は、Web2のカウンターカルチャーではなく、実社会の変化に着目してWeb3にアプローチしてみたいと思います。

(箇条書き、思考メモとして吐き出しますのでその前提でご覧いただければ幸いです)

Web3がブームになる実社会側の変化

資本主義の変化

・私たちが暮らす実社会は資本主義と民主主義のせめぎあいで駆動している。
・資本主義は長い時間軸で俯瞰してみるとわりと機能しているのだろう。
・世界はファクトフルネスよろしく豊かにはなっている。
・にもかかわらず、ポスト資本主義、脱成長といったキーワードが踊った2021年。ただ、このような話は定期的に話題になるものでもある。
・ポストと呼べるものまでが必要なのかは別としても、先進国で資本主義に対する課題意識は拡大しているようには見える。
・その背景には、資本主義において金融強すぎる問題なのではないか。
具体的には、Welth(金融投資されるお金)が強すぎ、Capital(生産に再投資されるお金)が弱い。
・上記背景もあり、幸せの判断軸を経済的豊かさからウェルビーイングへという流れがありそう

民主主義の変化

・民主主義は故障している?
成田さん主張(過去20年間、民主主義国は一貫して経済面において、コロナ禍においては公衆衛生においても、痙攣し続けている)。ここらへんはなるほどと思いつつ、自分のなかでは整理がいまいちついていないが、指摘の通り最適化が進んでいっているようには見えない。

幸せ欲求、自己実現欲求の高まり

・幸せに生きたいよねっていう欲求が高まってるのだと思う。そんなことを考えるくらいまで人類は豊かになったし暇になった。
・それが新しい主義、思想、イデオロギーというレベルで考える必要があるのか、はたまたチューニングでいいのか、そんなことを考えているのがいまの時代の雰囲気なのではないか。

資本主義、民主主義の変化とWeb3の関係性

実社会での資本主義、民主主義の行き詰まっていてはっきりした次の手が先進国からは出てきていません。日本からいうとわかりやすいお手本もない時代です。

Web3、クリプトエコノミーといわれる、現時点では良くも悪くも実社会と切り離されてしまっている世界では、資本主義と民主主義の新しい実験できるというのが、Web3が多くのポジションの人たちを巻き込めてる理由や魅力なのではないか?

壮大に考えると、国民国家と市場経済を実社会のルール外で実験できているようなもなのではないか?

国民国家を構成する要素は、国民、主権、領域が3要素といわれています。国家にとって重要な通貨発行権、財とサービスをやりとりする市場経済。クリプト(暗号通貨)の世界では国民国家の3要素から通貨発行権、市場経済どれも成立ができているようにもみえます。

進化かどうかはさてておき、株式会社という組織形態で最適化されていた経済が、DAO(スマートコントラクトで分配が自動的に処理されること、トレジャリーに通貨が入ることあたりがポイントなのではと思っています)という組み合わせで資本家と労働者の概念ではない組織と分配の仕組みができたことはすごいことだと思います。

さらにすごいのは、これが「個人」がなし得るということであり、機能するのであれば、実社会側からはだいぶ実現が遠そうな民主化された動きのようにも見えます。

Web3の世界、DAOなどは原始的な資本主義なのではないか、という問いもありますが、それはこのような流れで考えると当然にようにも思います。人間の欲求はそうかわるものではない。では、欲求がかわらないのであれば、国家、社会、さらには身体の成約をとっぱらったら0ベースでなにを人類はなにをするのか、しようと思うのか、という実験場としてのWeb3。

はじめは専門家もいないし、人間が欲求のままうごくと原始的な資本主義の動きに似ると思うのですが、過去の繰り返しに加えて、実社会の変化とはまた別な最適化されたものがWeb3では生まれるのではないか?

従来の実社会、人類が線形での成長、進化を遂げることとWeb3の未来は違うのではないか。近代の人類がテクノロジーを手に入れ、0ベースで世界を考えると案外違った未来を描る?といった妄想ができるから興味深いのかもしれない。そんなことを考えました。

実験場になりきれていないWeb3に対する懸念

ここまでがこの文章を書こうと思ったときの要点だったのですが、実体験として2022年に入ってから半年ほど少しクリプトの世界を実体験として深く接することで懸念が出てきました。

いま、クリプト経済圏から実経済圏に価値として戻す手段がいま徹底的に弱い。シンプルにいうと税金かかりすぎる状況が続いています。だったら、クリプト内で再投資しようという流れがあります。

実は、これが経済圏の「ように見える」要因なのではないか。この足かせがなくなっても経済圏として成立しつづけられるのかがめちゃくちゃ重要な気がしています。実はこの再投資とは実社会側にもどせないからこそ成立しているとなるとかなり危うい。

また、実はクリプト経済圏で回ってるものは、Welth(金融投資)であり、結局金で金を生んでるだけじゃないのか。それは実社会で課題となったことそのものということもいえ、なにも解決もしていないし、この観点においては実験場になっていないのでは?なども疑問も出てきました。

また、そもそもクリプト経済圏でのCaptal(生産に対する再投資)ってなんだろう?物質価値ではなく実質価値は認めるがどうもそこもいまいちしっくり見えない。こんな例があるよというのぜひ教えてください。

そう考えると、実社会側の価値観変化や時代の要請ではなく、Web2へのカウンターカルチャーどまり、というかそもそもそういうものとしてとらえるのが適切なのではないか?というこのタイトルを自己批判となるところにも至ってきてしまいました。

引き続き思考を巡らせつつ、別の切り口でも妄想してみたいと思います。

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