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自然な文章と文法の役割

時々、英語の文章を書いていると、主語と補語がイコールでないといけないと思うことがある。文法的に言うと、SVC(主語動詞補語)である。Vを
通してS=Cという関係になる。SVO(主語動詞目的語)ならS=Oにはならず、単純に言えば、ただS型がどうOに作用しているかということを表現している。

「I am 39 years old」という文章があり、もちろんこれは「私は39歳です」と日本語に訳され、S(I)=C(39 years old)という関係が成り立つはずである。しかし、時々「わたし」は「39歳」そのもの、まさにイコールではないと、英語では考えてしまうことがある。そんなこと思う人は稀だと思うが、時々、文法ルールが頭にあるとそう考えてしまう自分がいる。母国語である日本語では全くそのようなことは考えたことがないのに、なぜ英語ではそう思うことがあるのか疑問に思ったので何故かを考えてみた。

母国語では小さい時から言葉が通じるかという試行錯誤を繰り返して文章を作っているのに対し、一般的な日本人の英語学習は文法も会話と同時並行で学び始める。だから文章を作る時に文法ルールが頭から離れないというのがあるのだろう。故に、文というのは、文法ルールに則った論理的なものというよりもみんなが受け入れるような自然な文章というのが正解であり、文法ルールはあくまで、その自然な文章を分析しているものになると考えた方がよいのではないだろうか。ただし、その文法ルールというのも小さな頃から自然と活用し文章を組み立てることができるようになるというのもある。小さな子が不自然な文章をしゃべっていたが、どこかで文法のような考え方を身につけ、いつのまにか自然な文章になっていくような。だから、語学を学ぶ時は、会話がまず先でそれを補助するものとして文法の勉強もし、会話を支えるという考え方が良いのではないかと考えている。

#文法 #英語#母国語#主語#補語

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