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人生を生きるって、なに? - 映画 Arc -

特撮・アメコミ・怪獣等の映画ばかり見ていますが、苦手なジャンルの映画を見ようと思い映画 Arc を観てきました。
原作等は読まず、事前情報をほぼ入れない状態で鑑賞しました。

不老不死の技術を得た人間をテーマに生きるとは何かを描いた作品


以下ネタバレが含まれるためご注意ください。



 主人公のリナを中心に永真と天音が"生きる"ということと"死ぬ"ということについてお互いの主張を技術を持ってぶつけ合いますが、そもそもこれらの言葉の意味をどのように解釈しているかが異なっているのが何とも言えない切なさを生んでいたように思います。

天音が言う永遠の命は肉体的な生命活動が終わらないことを意味していたように感じましたが、果たして"死なないこと"が"生きること"と言えるのでしょうか。

キーワードは「罠」と「自分で決める」

 物語の前半、永真の下で働く中で沢山の死に触れ、リナ自身の過去の告白があります。それを聞いた永真は「罠にかからないように」と忠告をします。この「罠」とは何だったのかが明かされないままに永真が解任され物語の中心から一歩退きます。
社会科見学のシーンに進み、「不老不死の技術を研究しているのではないか」と問われたリナが「自分で決めて」と回答する段階ではおそらく罠にはかかっていなかったと思います。

その後、物語の中心に天音が入ってきますが、イケメンで頭もいい彼が「過去を克服できるまで永遠に待つ。(その技術もある)」と何とも甘美な言葉を言うのはまさしく天の音であり、これが「罠」だったんだと気づいたときはハッとしました。

 私は結婚したことがないので完全にイメージの話ですが、普通何年も一緒にいた場合、関係性って変化するものと思っています。
でも、天音とリナの夫婦は天音が亡くなるまで変化していなかったように見えました。

その後の天音の庭で働くリナも利用者の方々よりも年上のはずなのに、それに合わせた厚みがないというか、年下である利用者の芙美さんに教えられているように感じました。
リナは心身共に止まっているのが浮かび上がっているようでした。

 天音の庭の利用者が不老不死にならなかった理由として、金銭的な理由やみんながやらないと言ったから(蓋を開けるとみんなやってた)等が目立つ中、利仁が「自分で不老不死にならないことを決めた」ことを聞いて不思議そうにしますが、これは明らかに「自分で決めて」と言ったときのリナではなかったでしょう。

天音の「罠」

 それは、自分で決断することを、自分の人生を生きることを奪ったことだと思います。
愛する人に一緒にいたいと言われたから不老不死となったこれは本当に自分で決めたと言えるのではないでしょうか。
利仁が「自分で不老不死にならないことを決めた」ことを変に思うのは「多くの人が不老不死を選んでいるから当然(理由がなければ)不老不死になるだろう。」と多数派の意見に流される前提があったからではないでしょうか。
天音自身は自分で決断したのかもしれません。でもそれ以外の多くの人が、生物として重要な命に関わる選択を他人にゆだねていたのではないでしょうか。
選択をするということは責任を持つということで、責任ってだれもが負いたくないですよね。だからこそ、みんながやってるからとか誰かに言われたから等の理由を欲しがるもののように思います。

でも他人に流されている人生って自分の人生を生きるのとはちょっと違うんじゃない?ということが言いたかったんだと感じました。

 天音が生きている間はいいでしょう。選択をしてくれた人がいて、幸せで魔法にかかったように世界が鮮やかに見えたでしょう。でも居なくなった途端にまるで魔法が解けたように色あせたのは、いつの間にか自分の人生を生きることを奪われていたからのように感じます。

私は普段、「自分で選択して決断すれば、多少は納得できる」と思っていますが、"生きること"に関しても自分で決めることが大事なんだと改めて感じました。

終わりがあることの意味

 締め切りやタイムリミットがないと中々手が進まない、行動に移せないのですが、たぶん人生もそうで、いつか来る終わりを意識するからこそ動くことができる何かがあると思います。
そして動くからこそ成長があるようにも思います。
期限がなく"いつかやりたい"はあんまりやらないし、やらないと止まってしまう。
作中で不老不死になった人に成長が感じられないのは変化のない同じ毎日をただ繰り返しているだけだったからかもしれませんね。

ゲームっぽく表現すると、長生きしてるから経験値は沢山あるけど、レベルアップのイベントをクリアしてないからずっと同じレベルのままみたいなイメージで、個人的には現実だとレベルアップイベントって決断が付きまとうものだと思っています。
レベルアップイベントって不意にやってきますし、期限がなければ見逃すことも多いと思います。でも人生には終わりがあるので、見逃さないように、一つ一つ大切にしていきたいですね。

各々の死生観

 リナ以外の登場人物はそれぞれ死生観を持っている状態で現れます。永真も天音も利仁も。リナ自身は赤子を置き去りにしたときから命に対して正面から向き合うことができていなかったように思います。そんなリナが色んな人に翻弄されながらも、様々な死生観を聞いて観て感じていく中で、最後に選択ができるようになったのが大きな成長だったのだと思います。
不老不死になっても、人との関わりは重要なんだろうと思えました。

その他の面白い表現

 不老不死になったら、「お母さん」ではなく名前で呼ぶようになるのは面白いポイントでした。おそらく関係性が姉妹や友達に近くなるんでしょう。
超年の離れた兄妹ができたりする様子から、家族の意味合いも大きく変わってくるんだろうなと思います。
不老不死が当たり前の世界での家族をテーマにした作品もあったら観てみたいと思うきっかけになりました。

 作中であえて一緒に住まなかった利仁ですが、「同じ場所に存在することが一緒にいるわけではない。」と強く訴えているようで響くものがありました。見放された(同じ場所に存在しなかった)相手を「母さん」と言う彼だからこそだと思います。

最後に

 「死ぬまでにこれだけはやっときたい!」ということを探してちゃんと実行したいと思う良いきっかけになりました。来月は観たい映画がたくさん公開されるので、それは観に行こうと思っているのですが、、、
そうではなく、新しいことにチャレンジしたり、行ってみたい場所に行ったり等、今までと違った経験をしたいと思いました。
人生を生きるために。



Arc = 円弧 = 人生の軌跡
縁故 = 人とのつながり

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