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獄中記⑩ 意味不明な静岡への移送

本来なら逆送されたので兵庫に戻って裁判をやる予定だった。しかし山梨の件で3月末までに再逮捕されるとのことなので、それを待ちながらひたすら勉強をしていた。 起訴するとは言っていたが、事実誤認している部分もある。希望は捨てられない。 1月も下旬に差し掛かったある日、荷物の整理をすると言われた。つまり、次の日が移送だ。やっとか・・・。

当日に聞かされた驚きの行き先

朝9:00前、課長が来て書類を提示された。「今日、移送な。行き先は御殿場。山梨じゃないぞ。」                      私は一瞬、何と言われたの理解かできないでいた。静岡に行く用はない・・・。何かバレてない悪事がある訳でもない・・・。ひょっとしたら山梨の留置所がいっぱいなのか? しかし地理的に御殿場はないか。    手錠、腰縄をして外に出る。迎えに来た刑事らしき人から、「一緒の車の人達は捜査とは関係ないので、事件のことは聞かないで。」と言われた。   緊張が空気を介して伝わってくる。 私は若干余裕を感じた。この相手ならキツイ20日にはならなそうだ。けど本当に何の事件だろう?      本来ならもっと動揺してもおかしくないが、すでに2件も全く知らないことで捕まっていたので慣れてしまっていた。

2時間くらいで御殿場に到着した。川崎も古かったがここもなかなか古い・・・。いつも通り身体検査をして、荷物を整理する。一人の係長が参考書を見て、「勉強してるの?努力家だね。」と言ってくれた。課長は「努力家というか、変わってるね。」と言った。こっちの方が普通の反応かもしれない。

その後いったん部屋へ連れて行かれた。成人して大人と一緒の部屋になるのは初めてだった。私の部屋には20代に見える坊主頭の男の人がいた。挨拶はしたが、返ってこなかった。ひょっとしたら話したらいけないのかも、と思った。ルールは場所によって違うからだ。昼食を取った後、ベルが3回鳴って私が呼ばれた。

また関係ない事件かよ 

取調室へ行くと、先ほど話しかけてきた男と、年の近い可愛い女の人がいた。男は前原と言った。「何で来たか、分かるら?」 私が首をかしげると、女が逮捕状を読み上げ始めた。                  曰く、私が近江という人を指示して、強盗の準備をさせたということだ。もちろん関わっていないのだが、途中で知人のKが関わっている事件だと気づいた。                               

私は少しだけ後日談を聞いた。事件についての予備知識はあったし、Kが私の逮捕後どうなっているのか知れるかもしれないという期待もあった。何よりこの事件は、私がトラブルになっていた人たちがKと組んでいたはずだ。その人物たちについて調べてもらういい機会だ。            「どう?覚えてる?」 「はい。自分は関わっていませんけど、知っています」                                私はKの名前は伏せつつ、その上の人達について触れながら小出しで話をした。前原は協力的だった。私は神奈川で教えてもらった情報を元に、前原に対して少し加工して伝えた。前原や静岡県警が奴らを捜査しなくてはならなくなれば、都合がいい。 

それにしても、どんなミスがあったらKじゃなくて私を犯人だと考えられるのだろう・・・。全くムダな時間だ。

変な同居人

留置所はルールが緩く、にぎやかだった。アジア系の外国人も多く、私もすぐベトナム人とフィリピン人の友達ができた。同じ部屋の20代の人はショウと名乗った。ショウ君は25歳、最初は人当たりも良く、優しい人かなと感じたが、2日3日と経つと態度が変わっていった。

私が勉強していると、「そんな勉強は意味ないよ。人生の先輩として教えておくけど。仕事しなよ。」と言われた。 私と5歳しか違わないのだが、私の言うことなすこと全てを否定し、非常に偏った人生論を教えてくださった。 そして事あるごとに「お前は更生しないな。また戻ってくるよ。」とも忠告してくれた。ショウ君は話に一貫性がなく、分かりやすく言えば、見栄はりのウソつきなのだが、はっきり言って生活を共にするには苦だった。外にいれば我慢できるし、イラっとすることもないのだが、24時間一緒にいると非常に不快だ。私は集団生活の厳しさを感じた。

俺、医学部目指してたんだよ

前原刑事は話してみるとものすごく頭の回転が早く、IQが高いことが分かった。よく聞いてみると、高校時代、国公立の医学部を目指していたという。結局落ちたものの、超のつく一流大学の卒業生で、修士の学位を得ていた。なぜ警察になったか聞くと、他にやりたいこともなかったし、おばあちゃんが警察好きだったからかな~と答えた。                変わった人だが、私が出たら国立大学に行きたいと話すと、勉強の方法、コツや研究の楽しさなどを教えてくれた。                

「そうしてまでやり直そうとしているなら、全部話しちゃえよ。Kのことも。あっちは全部否定してるけど、どうなんだ?」 どうやらKに話を聞いたが、自分は関係ない。の一点張りだったという。関係のない私に擦り付けられたらたまらない。私はKから聞いた話を少しだけ教えた。      しかしKを売ろうとまでは思わなかった。そもそも最初に私が上の人物らについて、加工して話をしてしまっているので、事実を話してもつじつまが合わなくなる。結局具体的にKの関与を示す供述はしないことにした。

今できることをやるしかない

前原刑事に受験のことを教えてもらったこともあり、私は留置所の時間をほとんど全て勉強に使っていた。ショウ君は落ち着きがなく、ちょっかいをかけてきたり、大きな声を出したりと迷惑極まりなかったが、今できることをやるしかないのだ。環境や他人は今、変えられる問題じゃない。今できることをやらなければ、又、ここに戻ってくる。成人して大人と一緒になってそれを強く感じた。そして、そうはなりたくないと強く思った。

ここにいる人の大半はリピーターであり、居場所はここしかない。皆、辛そうではない。「獄」はコミュニティとして機能していた。一生出たり入ったりする生活はしたくない。

つづく



    

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