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キンモクセイの香りで思い出す人   ➃中学卒業~

12月が過ぎて、1月になって、みんな本格的に受験勉強に入った。
俺も毎日塾にいたし、蘭ちゃんも別の塾だったけど毎日通っていた。
この頃になると塾帰りに会うことはなくなっていた。
忙しかったからではない。
ちょっとしたケンカをし、つい勢いで「受験もあるからしばらく距離を置こう」と言ったからだ。
そうは言っても俺は受験が終わったら仲良くやって行けるだろうと思っていた。
それから高校が別々になるから、最後くらい同じ中学の人との時間も楽しみたい、という思いもあった。

連絡を取るのも毎日、おはよう、おやすみだけになったけど、あまり気にしていなかった。
中学生なんて気分屋で、何をしても長続きしない。
2月になるとだんだん1日2回のラインもお互い面倒になり、俺は昔から仲の良かった女友達と頻繁に連絡を取るようになっていた。
後から聞いた話だと、蘭ちゃんもそんな感じだったらしい。
俺達の地区では高校入試は2月の半ばで、大半の人は1日目に学科、2日に面接で終わる。
俺が受けた学校はちょっと特殊で半日がかりの特別検査試験(特色検査)を行っていた。
確か1日目学科、2日目特色検査、3日目面接だったと思う。
2日目に家に帰ると珍しく蘭ちゃんからLINEが来ていた。
細かい内容は覚えていないけど、簡単に言えば「受験お疲れ様でした。他に気になる人ができたから別れて欲しい。今まで楽しかった」という風な内容だった。
俺はあまり驚かなかった。
何となくこうなってもいいように心構えを作っておいたのかもしれない。
かといって、ま、中学生の恋愛なんてこんなもんだよね、ってほどには割り切れなかった。
今まで付き合った彼女と別れた時より落ち込んだ。
それを埋めてくれたのは卒業前の忙しさだった。
受験が終わると、みんな毎日夜まで遊ぶようになった。
学校でもイベントがいくつもあって、ディズニーランドへ行ったりもする。
そのおかげもあって、あまりズルズル引きずらなくて済んだのは幸いだった。
俺は昔遊んでたギャル連中やその取り巻き達と遊ぶことが増えた。
中学の友達も含めて、酒を飲むこともあった。
よく合っていた中学の女友達は確かにいい奴だったけど、それだけでは心の穴を埋められなかったのだと思う。
色んなところで色んな女と遊んで、3人集まれば酒を飲んでいた。
そうしていれば蘭ちゃんのことを思い出すことはなかった。

当然こんな生活をしていたら、高校が始まっても夜は眠れないし朝は起きられない。
救いだったのは、俺の行った高校に校則らしきものが無かったことだった。
服装もほとんど自由。休み時間にコンビニへ行っても、ラーメンを食べに行ってもOK。
おかげで俺の素行の悪さもほとんどスルーされていた。
高校は楽しかった。
先生も悪い奴ばかりだった中学とは違って、良い先生が何人もいた。
一応友達もできた。
中学のあの狭苦しい感じはなくて、男も女も仲が良かったと記憶している。
毎日遊びのような学校生活、地元のヤンチャ仲間との駅前でのたむろ、女友達との夜中の電話。
最初の頃こそ心の穴を埋めるのに酒や女に頼ったけど、だんだんそういうこともなくなっていった。

5月6月と進んで行くにつれて、中学生の頃の恋なんて記憶の中のめったに開かないところへ仕舞われて行った。
ただ楽しいことばかりだったわけでもない。

当時俺は地元の先輩と揉めていた。
きっかけは俺が地元の掟を守らなかったことだった。
地元では中学を出てヤンチャを続けるなら、チームに入らなければいけなかった。
これは2016年くらいの話だから、今はどうなっているかしらないが、当時はまだこういうルールがあった。

チームに入らないなら、バイクの無免やコルク(入りのヘルメット)をかぶること、族車に乗ることが禁止されている。
他にもヤンチャ仲間とつるんでいく上で色々不便が生じるようになっている。
後ろ盾がないということは、狙われやすくなるということだ。
こうすることでチームという制度に新入りを組み込んでいく。
当然チームに入るには毎月数万円のカネを納めないといけない。
上の人間が「今日○○の現場に行け」といったら、突然のことであっても動かなければならない。
チームのトップにいるのはヤクザの末端の20歳~25歳くらいの人間で、ケツ持ち代と人工出しをシノギとしている。
多少薬物をいじっている人もいる。

俺はどうしてもこの制度に組み入れられたくなかった。
だからチームに入ることは拒否した。
けど地元のヤンチャ仲間とは遊ぶ。コルクも被るしバイクにも乗る。
カネになりそうな話にも手を出した。
チームに入っていなくても守ってくれる人間を作ることはできた。
そこそこ力を持っている人と上手く付き合うのだ。
こっちがしてあげられることは、その人のビジネスが繁盛するように知り合いを紹介することと、女を紹介することくらいだったけど、相手も17,8だったから、それで多少守ってもらえていた。

しかし暴力の世界ではより強い者を出されたら負けだ。
さらに強い人を出してもらわないといけない。
そして最終的にはヤクザ同士の話にすることでお互い大きすぎて戦えない、というところへ持っていくしかない。
チームという制度に守られている人間と違って、俺は個人的な関係に守られていただけだった。
多少のこずかい稼ぎを手伝い、女を紹介しているくらいでは限界があったのだ。

ある日俺は、ドンキのコルクを被って、アドレスのV125(通称ワンツー)に乗っているところをチームの人間に止められ、チームに入らずにイキるな、と詰められた。
面倒を見てくれていた人も、今回は出られない・・・と言葉少なだった。
その場で俺は”ヤキ”を入れられた。
”ヤキ”といっても大したことはない。youtubeで見る昔の暴走族とは違う。
コルクで殴られる以外はあんまり痛くはない。
みんなパクられたくないから傷も残さない。
”どうせすぐ疲れてやめるだろう”
当時結構身体を鍛えていた俺としてはそこまで応えなかった。
だがその後にチーム側は俺に25万円を請求した。
俺はこんな金は絶対に払わないと決めていたが、これには上の人間もおそらく関わっていた。
俺はこのカネをバックレしたので、チームの人間から追われることになったのだ。

続く

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