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名古屋刑務所受刑者暴行事件への違和感

名古屋刑務所で刑務官数人が受刑者の胸ぐらを掴んだり、アルコールスプレーを顔にかけたりしていたことが発覚した。
現役の一受刑者として本件(と本件に対する大臣やメディア、民意の対応)には大きな違和感を覚える。

刑務官は有形の暴力を必要としてない


刑務所において、刑務官は受刑者を暴力で管理している。
ここでいう暴力とは殴る蹴るでもアルコールブッシャーでもない。
基準が不明確でいつ何時適用されてしまうか分からないルールと、言葉や雰囲気による暴力だ。
刑務所はルールを制定する所から、適用する所、そして処罰する所までを独占している。
言葉でいくら威嚇されても、受刑者がそこに乗ってしまえば即、閉居罰。
仮釈放が遠くなる。
だから刑務官に有形の暴力は必要ない。
というより、有形の暴力なしで受刑者を管理できる仕組みが整っているのだ。

管理のための暴力ではない

だからと言って本件はウソだと言いたいのではない。
私が大きな違和感を覚えるのは、本件が刑務官と受刑者、つまり管理する側と管理される側に対して、その管理の為に日常的・組織的に暴力を行使していたのではないかという視点で取り上げられている点だ。

前述した通り、刑務官は暴力を必要としていない。
なぜなら懲罰権という最強の暴力を保有しているからだ。
合理的な人間は必要ないのに暴力を使わない。
本件は数名の刑務官の人間的な資質の問題であって、刑務所行政、ひいては刑事司法全体の問題では全くもってないのだ。

”名古屋刑務所は昔もあれだけの問題を起こした。またか。だから日本の刑事司法はダメなんだ。人権というものをまるで分っていない。”
と言った論調は失当である。
本件は権力による管理行為そのものが引き起こした人権侵害ではないからだ。
当事者は気の毒だが、結局はその刑務官が人間的に受刑者と同レベルだっただけだ。
組織や権力による暴力・人権侵害とはわけが違う。

本当に人権を侵害しているのは?

日本の刑事司法における人権侵害は、執行段階ではこれといったものがない。
メガネを使わせてもらえなかったとか、トイレを我慢させられた・・・とかそんなもんだ。
一方、捜査段階は人権侵害のオンパレードである。

私は1件の事件に手をかけた。
それに2件のほとんど知らない事件を加えた3件を立件するのに、警察は当時少年だった私を6件(うち3件は一切知らない)で逮捕し、1年4か月間、代用監獄へ入れ続けた。
その間とても人が口に入れられる物ではない食事を少なくとも2か月出された。
自分で買っても同じものが来るから、かりんとうと野菜ジュースで飢えをしのいだ。
体重は15キロ近く落ちた。
東京の留置場では半年過ごしたが、手のひらにはブツブツが出て、尿は抹茶色になった。病院ヘは行けず、野菜しか入ってないイスラム教徒用の食事を出された。

刑事は私が ”この事件は人から聞いただけでよく知らない” というと、
「すでに1件やったんだから通用しないよ」 と笑った。
私の名前すら知らない、当然私も知らない共犯者達は、「指示役が2人いて、そのうちの1人が私」だと調書に残している。
刑事は「みんな同じこと言ってるから、ダンマリこくなら足に手錠つけてポイってするだけだよ。それはお前が損するだけだ。」と言った。

もう1つの事件では私が黙秘権を行使すると、「じゃあ俺達のストーリーになっちゃうよ。お前が自分の話をしないなら。」 と刑事は言い、1週間後には「状況はお前にとって悪くなる一方だ。TもHもKも俺たちのストーリーに乗った。あいつらバカだし、記憶もメチャクチャだから。俺達は上手くいっている。」 とのたまった。

結果、車を知人から借りて、又貸ししただけの私が指示役として裁かれた。

勝てる相手としか闘わない

メディアは今回そこそこ刑務所を叩いている。
刑務所は怖くないし、世論(消費者・客)も乗ってくれる。
朝日新聞の自衛隊タタキに似ている。
一方、日本の刑事司法を世界最低レベルの人権状態に置かしめている、捜査段階の警察検察はブラックボックス(情報を公開しない)だし、世論も相手にしないから闘わない。
それどころか一体化してしまう。
人権侵害の基準をはき違え、目先のスキャンダラスな事件に飛びつくだけのメディアの姿勢に怒りを禁じえない。



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