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岸田流「新しい資本主義」の悪しき新しさ・・経済通の弁護士と語り合う


はぁ~、逮捕されてから670日。やっと裁判終わりました。この間支えてくださった家族・友人・弁護士には本当に感謝しています。

私にとって判決は一つの通過地点でしかないので、今後もやっていくことは変わりません。強いていうなら、刑務作業が始まるくらいです。

今回私の裁判を1年9か月に渡って継続して支えてくれたのは、東京と兵庫の2人の弁護士でした。
東京の先生は兵庫や山梨、静岡にも何度も来てくれました。

先生は法律の難しい話だけでなく、政治や経済についての雑談もよくしてくれました。
こういう施設では、自分が勉強していることを誰かに話せる機会が少ないので、非常に貴重な時間となりました。
今後も連絡を取り合っていくということで一致していますが、手紙や面会の制限もあるので、今日はたっぷり「新しい資本主義」について語り合っておきました。

的外れな「新しい資本主義」批判


岸田文雄は昨年末、「新しい資本主義」「経済安全保障」を掲げてクーデターで総理大臣となった。
その後の衆院選に勝利し、今年の国会は波風立てない安全運転に終始し、6月に参院選で大勝を収めた。
マスコミは右から左まで口をそろえて「新しい資本主義」には内容がない。看板倒れ。と言っている。もう一つよく見かけるのは、新自由主義から社会民主主義戻しただけ。新しくない。という批判。

社会民主主義とは・・・国が金持ちからたくさん税金を取り立てて、”下々の国民に分配することに力を入れるやり方

新自由主義とは・・・企業にたくさん競させて成長させることで仕事を生み出したりするやり方。税金はこっちの方が安くなる。

もともと日本は社会民主主義だった。だから新しくないじゃんよ、っていうことらしい。けど、みんな間違ってる。
「新しい資本主義」はやっぱり新しい。                でもそれは良い意味ではない。悪い意味で・・・だ。          これを考えるにはまず、太平洋戦争(~1945)後の歴史を振り返る必要がある。


超分かりやすい日本式社会民主主義の歴史

大日本帝国は1945年にアメリカやイギリスに戦争で負けた。
私達が全然知らない頃の話だけど、日本は一時期GHQっていうアメリカを中心としたグループに支配されていた。日本が国家として再デビューするのは1950年。
この頃のGHQの最大の目的は、日本に二度と戦争をさせないことだった。だから徹底して戦争の原因を探った。
GHQが行き着いた答えの一つに官僚が大きな力を持ちすぎた、というのがあった。戦争時、日本の軍や警察はものすごい力を持っていて、やりたい放題だった。
だからGHQとしては官僚に力を持たせたくない。けど、当時の人はまだ貧乏で、ある程度国家の力で人を養っていかなきゃいけない。

こういう状態の国は、社会民主主義的なやり方でいくしかない。

しかし本来の社会民主主義では、誰にいくら分配するかは官僚たちが決めていく。そうするとまた日本の官僚が暴走して、とんでもないことをやる可能性がある。そこでGHQが思いついたのが、政治家が地元や支持者に公共事業を持っていくことで分配する、日本式社会民主主義だった。

公共事業っていうのは、道路とか電車とか建物を国のカネ(税金)でつくる事業。


日本の公共事業


当然政治家にカネを握らせたら、賄賂だとか口利きだとか、民主主義の国ではよくないとされている腐敗が生まれるけど、官僚の暴走を止められるなら、多少政治家腐っていてもいいや。GHQや当時の日本の偉い人達はそう考えた。                               この日本式社会民主主義が絶頂を迎えたのが、田名角栄の頃。
彼は地元に道路を作ったり、電車を引いたりしまくった。
今でも地方に行くと、「この道路いる?」っていうところは多い。
そんな時はこの話を思い出してほしい。
政治家が地元を潤わせるために作ったのだと。

日本式中途半端な新自由主義


2000年代に入ると日本では、小泉純一郎という総理が競争を重んじる新自由主義を始めた。
ちょっと時を戻すと、1980年代にも中曽根康弘総理が同じようなことをしている。
具体的には電電公社(NTT)、国鉄(JR)、専売公社(JT)、郵政省(日本郵政グループ)の民営化をやった。
その後、安倍晋三、民主党、安倍晋三と政権は変わったけど、路線としては新自由主義だった。
けれども日本は元々お偉いさん達のもたれあいの国だから、健全な競争なんて生まれなかった。
新自由主義の日本では、政治家や官僚の力は官邸とその取り巻きの団体に集中した。
官邸のメンバーは総理や官房長官、福官房長官、主要な大臣、一部の鑑定に詰めている官僚。結局経済は少しは良くなったけど、格差は大きくなったらしい。
金持ちがどんどん金持ちになっていく。貧乏人はもっと貧乏になった、とか。その真偽はここでは議論しない。

ただ官僚に利権(カネと権力)が集中した、格差が拡大したという話は、メディアでもよく見る。
この状況に不満な人達は結構いるということだ。そんな人たちの声を背景に総理の座を手に入れたのが、岸田文雄だ。               そして彼は「新しい資本主義」の名のもと、日本を再び社会民主主義に戻したいようだ。
何が新しいか。彼は最近ベンチャー支援のファンド・大学ファンド・返済不要の奨学金・防衛費2倍・経済安全保障などなど大量のカネを分配する戦略<を打ち出している。 
どれも今まで言われてきたことばかりで、新しくないと思われがちだが、注目すべきは官僚にカネを自由に使わせる仕組みばかりだということだ。

①経済産業省、②③文部科学省、④防衛省、⑤警察庁 外務省 防衛省 経産省 というように。
防衛費についても自由に使えるカネを要求できるようにするらしい。
大学やベンチャーのファンドも誰に配るのかを決めるのは官僚になる。当然彼らの力は大きくなる。

経済安全保障法とは


特に私が注目しているのが「経済安全保障法」だ。
今年すでに可決されたこの法律は、法律の読み方を知っている人からすると「最悪」な法律だ。
要するに、国が企業とか民間人の活動を制限できるしくみを作ったから、何を規制するかは官僚たちで決めてよ。という白紙委任状なのだ。

また、安全保障の名のもとに、大学や企業の研究にも口を出せるようになっている。口を出すということはカネも出す。
当然どっちもその裁量は官僚が持つ。

岸田氏の「新しい資本主義」は確かに”アベノミクス”の焼き直しも多いし、過去の社会民主主義に戻っているだけだ。

官僚に集中した利権を手放しているように見えるから、有権者やメディアからのウケもいい。
しかし利権は従来のように選挙で選ばれた政治家へと戻っているのではない。
岸田氏は利権の分配機能を「ちょっと難しい試験」に受かっただけの官僚に与えている。

GHQが最も恐れた官僚がカネと権力を持つ式の社会民主主義だ。

どこが問題なのか?
私も弁護士の先生も、まさか日本が戦争にひた走っていくとか、そういう左翼の先生方のような妄想はしていない。
私がここまで論考を伝え、新しい資本主義を批判すると、先生はこう言った。

「問題は日本が政治家が分配する方式でやってきたから、行政(官僚)の力を制限したり、行政のやったことを後から検証して、不当な扱いを受けた人を助ける仕組みが整っていないことです。

官僚は所詮政治家と一緒に動くという前提でシステムが成り立っていて、官僚の責任は政治家が取ってきた。
官僚が単独で今よりもっと強い力を使うとなった時に、それを抑制する仕組みが日本にはない。」

しかし岸田氏を抑制する仕組みもないのが事実だ。
3年間は選挙がない上、野党はウンコだ。

このままだと日本は官僚がみんなをウォッチして、誰に何をあげるか1つ1つ決めてくれる、”官僚支配の社会民主主義”になりかねない。

そう考えると、「新しい資本主義」という看板は、非常に巧妙な偽装だ。
いったい誰が振付を考えたのだろうか?

まさかそれも官僚・・・だったりして・・・?

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