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私の自己紹介

吉田悠人の全てをここに。

今までの人生、自分との対話を多くしてきた方だと思うので、言語化にはそう困らない。
けれど今の僕が過去の僕をどう思うか。それを考えながらこのnoteを書きました。
きれいに書くつもりはないのと、読みづらさがあると思うのと、長いですがどうぞ読んでください。

2001/12/29


東京都小金井市桜町病院で、姉二人の末っ子で長男として生まれる。

子供の頃から毎週自然のある公園に連れて行かれてた

2007とか?


小金井市立緑小学校に入学。
二年生で野球とサッカー迷って、サッカーを始める。
小学校時代はモテた。運動もできるし、コミュニケーションもとれるしモテた。調子ノリノリ。そんでもって、いじりキャラ。サイアク男の始まり。

2014年


小金井市立緑中学校に入学。まだモテた。
いじりキャラ継続。多少荒れてる学校で、俺は荒れてないけど、荒れてる人たちと仲良かった人。一番ダサい。
ここで初めて彼女ができる。8か月くらい続いて受験が近くなって別れた。そのあともう一人付き合った気もするけどあんまり覚えてない(ごめん)
部活には入ってなくて、クラブチームでサッカーを続けた。何とここでは、いじられキャラ。もともと人と話すとか、新しいコミュニティでは下から入る癖があってそのままいじられキャラになった。
ある時「ゆうとめっちゃ下手」とめっちゃ嫌いなやつに言われ、むかついて革命を起こす。プレースタイルをがっつり変えて、試合に絶対出れるくらいまで練習した。

中3


緑中は荒れてるのに根は真面目なやつばかりで頭がいい。そうでもない俺は普通に平均くらいの馬鹿だった。高校は、学校が載ってるマップに家から半径7km(チャリでいけそうな距離)の円をコンパスで書いてその中から、いけそうで体育祭楽しそうなところにした。でも受験は一か月前くらいまで全然何もしなくて大焦りで勉強した。うかった。
中学はマジで楽しくて、the男の遊びを永遠にしてた。毎日息できなくなるくらいまで爆笑して、学校から帰りたくない日々だった。

癖で手がこうなる


2017年


都立石神井高校に入学。
5教科412点とって余裕で合格。1/7の特進クラスになった。
サッカーを辞めるつもりだったけど、一緒の中学の森に誘われ入る。
中学でいじりキャラといじられキャラの共存に成功したのでちょっとだけ性格が丸くなって高校生活を送る。
この当時から、40人を連れてキャンプを企画するなどリーダーシップとか企画とかは大好きだった。
彼女ができる。割とビックカップルでめちゃ話題に。

これがいけなかった。。
サッカーも上の学年に呼ばれる、企画者、特進、ビックカップル。
調子ノリノリ吉田再来。

高2 ターニングポイント①


8か月で別れる。「え?振られるってなに?わかれる??わかれる??あ、え??」みたいになった。思い返してみると、調子ノリノリできもかった。「しかも、小学校からその調子だったわ。」と今までの人生をまるっと死ぬほど後悔する。授業中に泣いたりしてた。
ここで人生のモットーを「後悔しないように生きる」に設定。
ここから、人間関係、勉強、部活死ぬほど頑張るようになる。勉強は300人中15位くらいをうろうろ。部活も絶対スタメン、自分でボケたり人の気持ちを考えるいじりをできるようになる。

高3の卒業シーズン ターニングポイント②


負けて、部活引退。俺らの代は結構強くて3年で4回くらいしか負けたことがなかった。「あれ~?めっちゃ努力してきたのに負けた。。なんでだ??後悔しないように努力してきたのにめっちゃ後悔しとるんやが、、、、」ってなる。色々時間をかけて考えた結果。
「後悔しないように努力はしてきた。けど、それはプライドを守るために80点を目指すということだった。80点を出せば後悔しないし、プライドが守られると知っているから。勉強も別に一位を目指さないし、部活もスタメンで満足してチームを勝たせよう!という努力はしてない。そもそも、80点だせることにしか挑戦してないんだ。分かれ道があったら、一旦立ち止まって後悔しないほうを選び続けてきたんだ。」と気が付く。
そこで、自分に足りないものは「とりあえずやってみる」ということだと気が付く。後悔しないようにしていたら、すげえ小さくて挑戦しない人間になってしまっていたのだ。
ここでモットーを「後悔しないように生きる」から「選んだ道を正解にする」に変更。「とりあえずやってみる」は尊敬する先輩が同じこと言ってたから変えたくて、選んだ道を正解にするにしておいた。
世界史が好きで、高校でやりきった!と思ったので日本史強いの大学に指定校でさらっと行く。後に日本史むずくて嫌になる。

劇的勝利の後
体育祭総合優勝後

2020年


國學院大學文学部史学科に入学。
が、コロナな入学式から1年終わりまで学校に行かなかった。(後期はちょっと行ったかも)
モット―変更後、やる気に満ち溢れていたのにどこにやる気をぶつければいいのかわからない状態。萎えまくり。

入学式で使われなかった可哀そうなスーツ
体重55キロくらい

7月


youtubeでAKIOBLOGを見つける。影響されて、服を全部すてて白ティとデニムだけにする(笑)筋トレ、瞑想、朝6時起床してマックで英語生活を始める。
オレンジセオリーフィットネスというジムを店舗立ち上げからやる。飛び込み営業とか人とのコミュケーション、クロージングなどの研修を5日間みっちりやって爆成長した。
AKIOの動画でTABIPPO学生支部を知る。「これだ!」という想いで応募ページに行くも、募集期間終了していた。いつもの自分ならあきらめていた。けど、AKIOのおかげで自信満々だったからDMで長文を送り付けた。
一度断られる。でも、たかがDMを送り付けるだけだが、俺にとっては快挙。断られたらプライドが、、なんて考えもせずに送った。ここで、とりあえずやってみることに気持ちよさに気が付く。

21年スタッフ


結果的には入れてDREAMチームに配属される。当時の東京支部には、1年生は二人。しかもどっちもDREAMチーム。ここで、高学年との差で自分の存在価値を見出せずつぶれる。当時の代表を含めた数人で沖縄に行って復活。「他人と比べる必要なんてない。よっぴの良いところは何にも恐れずに発言出来て、行動できるとこ」と言ってもらった。今でもそれが自分の強みだと思ってる。
そして、一番の学びはDREAMチームリーダーのかいやの存在。10人くらいのDREAMチームは死ぬほど楽しくて大好きなんだけど、それはかいやがリーダーだったから。彼は、仕事の振り方がうまいとか、カリスマ性とかがあるわけではないんだけど(笑)、みんなから愛されるリーダーだった。彼がピラミッドの上ではなく、円の中心にいてその周りを俺らが囲んでいるようなチームだった。高校までピラミッドの上のごみリーダーをやってきた自分からしたら「そんなリーダー像あんの!?まじか。俺がやってたのよりもはるかにすごい、、、」と衝撃を受けた。
激キレイなシェアハウスに最後2か月住んで、毎日パーティーしたり、スノボ行ったりして人生で一番楽しい2か月だった。これは今でも。これからも一生関わるだろう仲間とも会えた。一緒に仕事したい!って思った仲間もいる。一年生でコロナで学校がなかった俺には十分すぎる時間だった。。

DREAMチーム合宿中

22年スタッフ


2年生は学んだことを別の何かに活かそう!と思いながらも週一回だけ学校に通って特に何もせず夏休みになる。
バイクで山口県まで行くのと、北海道一周を夏休みにやりたかったからバイトをやめる。ニートの始まり。この旅でカメラをちゃんとやるようになる。

筋肉ついてパンパンな可哀そうなスーツ
体重68キロ


夏休みが終わったタイミングの10月でスタッフになる。全然遊びだけ参加しようと思ってたら、舞台監督補佐に誘われる。
留学に向けてめちゃめちゃ勉強していたので最初は断った。けど「ほかの誰かが監督補佐で輝いてたときこうかいするんだろうな」と思い、受け入れた。
目指していたのは、かいや。去年の俺がカイヤのおかげでDREAMチームを死ぬほど好きみたいにみんなに舞台チームをすきって言ってほしいと思っていた。だから、ずっとやってきた俺のリーダーシップ(ピラミッドトップ型)は封印してかいやの真似を頑張っていた。でも全然めちゃくちゃ全くうまくいかない。立場も違うし人数も違う、そもそもやったことない。
めちゃ苦労してる中で、福岡のBackpackFESTAに手伝いに行くとカイヤに会う。「会いたかった~~~~」と思ったら涙だらだら(笑)緊張の糸がほどけてしまってカイヤの前で泣いた(笑)
福岡から帰って最寄りからシェアハウスに時「あ~かいやに会えてよかった~。DREAMチームに戻りたいな~」って思った。そして、自分のチームがありながら自分の目指してるチームにならないからといって、逃げようとした自分が情けなさすぎてシェアハウスの横の公園で1時間ほど号泣。目が晴れ過ぎてバナナを3本食べる。ルームメイトがゴミ箱を見て「よっぴバナナ3本食べたの。。。?」と聞かれる。

かいや

その翌日くらい、2日前なのに舞台チームのリハが全然うまくいかないという事態になった。その原因は、舞台の成功を目指すのか、自分たちの満足度のためにやるのか。軸がぶれていたからだった。
俺は悔しさと情けなさを感じながら一旦散歩した(笑)歩きながら「もう、カイヤの真似はやめてのやり方で舞台の成功を一旦考えよう。」と決心した。そうせざるを得ない自分がダサかったし、なにより自分のリーダーシップを出すのが怖かった。高校までの俺に戻ってしまいそうだったから。でもまあ舞台成功のためだしな~しょうがない、捨て身だ!!みたいなことを考えてリハ場所に戻った。
その雰囲気を見かねたしゅんがMTGの時間をとってくれて、今まで、監督がいたら監督にしゃべってもらっていた舞台チームのMTGで初めて俺が話した。
その結果は、案外うまくいった。みんながやる気になったのを感じたし、チームがぎゅっとなったのを感じた。「あ~俺のリーダーシップってやっぱり俺の強みだな~」って再確認した。そして、BPF終わりだったり活動が終わってから、舞台チームのみんなから手紙をもらったり、23スタッフで「よっぴだからやるよ!」と言ってくれる人もいた。
俺がずっと怖くて封印していた自分の強みは、思ったよりも強くて優しいものに進化していた。ことに気がついた。

旅で世界は素敵になるって本気で思ったし、自分の強みにも気が付けた、舞台監督補佐という立場をやってよかった。あの時の決断がまた、自分を成長させた。と感じる22年スタッフでした。


今年の意気込みはまた今度。

この時は熱で記憶はない



当日の話はここで読んでね


BPF翌日。しゅんに送ったLINE。
愛が溢れてる。

2022.03.07 月曜日
私は ひがのくんと別に熱い話をするわけでも、ちょーーー友達!!ってわけでもないですが才能に惚れています。

いつか話した、ひがしゅんが代表で、一緒にやってみたいと思ったから入ったというのはやはり間違っていなかった。

しゅんくんのリーダーとしての才能だったり、臨機応変の才能、わざといじられる才能、みんなにわかりやすく思いを伝える才能。それを用いて、結果を出す才能。

勝手ながら、おそらく俺もひがしゅんと同じようなタイプだと思う。

俺も、リーダーの才能はあると思う。けれど、敵わないと思った。笑

それが悔しくて、

やっぱりリーダーになるべき人間は俺みたいな人じゃないんだなぁと思って、、でもそんな代表の下で動けるのが心地よくて、不思議な感情でした。

男だからやっぱり、悔しい気持ちがある。

けれど俺は素直に、ひがしゅんを目指したいと思う。

今まで、タビッポ学生支部で色んなすごい人に会ってきたけど、俺が目指すべきはしみなおさんでもぶんたさんでも、かけるでも、かいやでもなく、ひがしゅんのような気がする。

視界が晴れたような気がします。
代表でありがとう!補佐をやらせてくれてありがとう!!


いつか言ってくれた、よっぴはリーダーに適任だよ!!!って憧れからの、その言葉嬉しかった。

またお酒でも飲みましょう。しゅんくんに会えてよかった。あなたが代表でよかった。たくさん悩んでよかった。舞台作れてよかった。BPF運営チームで良かった。

学生支部の2年目やってよかった。心の底から思います。

そして、旅は世界をもっと素敵にすると痛感しました。ありがとう!!!!

孤独だったかもしれないけど、俺みたいな人は必ずたくさんいるよ
たくさん悩んでだかもしれない。
上からも下からも圧があったかもしれないけど ひがしゅんの努力が報われますように!!!!

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