「私欲」が無い、昔の偉大なる経営者たち
最近は、神社や神道の関係の本をよく読んでいるというのは前にも書きましたが、今読んでいる本「なぜ成功する人は神棚と神社を大切にするのか?」にはこんなことが書いてありました。
ダスキンの創業者、鈴木清一氏の伝記『敗れざる者』の中の一節らしいです。
「半紙に自分の進むべき道を書き記し、神棚に貼った。
一、己の望みを持たざる事
一、一身一家を顧みざること
一、損と得とあらば損の道をゆくこと」
また、同著に、あの出光興産の創業者「海賊と言われた男」の出光佐三氏の言葉も掲載されておりました。
「私は神様をおがむが、そのときはまた無我の状態にはいるのだ。家庭では神様と仏様をおがむし、一日一回に何回か無我無心の状態に入る。それは非常に尊いことだ。どうぞ金をもうけさせてください。いい思いをさせて下さいというようなことを頼んだことはない。無我無心になる、これだ」
これを読んだときに、この偉大な創業者たちの私欲のないこと、神、仏の如しと恐れ入り、衝撃をうけました。
戦争でボロボロになりながらも、奇跡的な復興を遂げた日本の背景には、もちろん朝鮮戦争特需やアメリカが国防を肩代わりしてくれていたという事情があるにせよ、このような「無私」の経営者が多くいたことが挙げられるのではないでしょうか。
もちろんこんな人ばかりではなかったはずですが、ある一定層日本社会にはこのような人がいて、こういう人が人々の上に立った。そして日本はアメリカをも抜く勢いで発展していったのではないでしょうか。
先ほど、「チカーノになった日本人」の元ヤクザのKeiさんと、元警察の北芝健さんの対談の動画を観ておりましたが、北芝さんもKeiさんも
バブルで日本人の性質が全く変わってしまった
と言っていたのが興味深いです。
そして、現代のヤクザの世界も、昔の「弱きを助け強きをくじく」型の任侠は廃れ、アメリカ型のマフィアがほぼ主流になっており、昔気質の武闘派は隅に追いやられ、金儲けの上手い「富をもたらす奴」がどんどん出世していくようになっている、と言っておりました。
バブル以後、経済も国力も、文化の豊潤さも、下降の一途を辿っているように思える日本ですが、その原因はアメリカナイズドされ過ぎてしまい、日本精神をどこかに置き去りにしてきたのが原因ではないかと思えたりします。
歴史も風土も人種も全く違うアメリカ型の資本主義に侵されてしまい、私利私欲で動く人が増え、崇高な理想や理念をもつこともなく金儲け第一主義になってから、日本は衰退していったと考えられませんか。
まあ、これがGHQがプログラムした「戦後日本」なのかもしれません。
冒頭で紹介した、「なぜ成功する人は神棚と神社を大切にするのか?」には、松下幸之助氏のことも書かれておりました。
パナソニックの創業者、松下幸之助氏は、いわゆる「水道哲学」を提唱し、「水のように価値あるものを安く、あまねく人々に供給するのが経済人の使命である」と訴えました。松下氏は、松下電気産業(現パナソニック)の事業計画を250年後まで策定しました。これは、松下電気産業が250年間存続して、人々のために働くことを目的としたことを意味します。
志が違うというか、人間の質が全く違いますね。
昔の日本人には恐れ入ります。
80年代は多くの日本企業が世界でトップを占めておりましたが、そりゃこんな偉大な人に引っ張られたらそうなりますわな。
日本がまた、強くなろうと思ったら、小手先だけの改革なんかじゃ無理でしょう。
私も、是非偉大なる先人の足跡を辿り、努力していこうと思った次第です。
ここまで読んでくださいましてありがとうございました!
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