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第7話 平壌(ピョンヤン)観光③

冷麺に関しては「世界最高峰」といっても過言ではない玉流館の冷麺を堪能したあとの予定は、「祖国解放戦争勝利記念館」の見学だった。


ここは正直そこまで印象に残っていないので飛ばしたいところだが、「北朝鮮」という国をを理解するのに重要な場所だとも言えるので少し説明をする。



1945年に日本が戦争で負ける前までの35年間、朝鮮半島は大日本帝国の領土の一部だった、というくらいのことは誰でも知っているとおもう。

大東亜戦争(太平洋戦争)の末期、日本降伏後の朝鮮半島は緯度38度の北側をソビエト連邦、南側をアメリカが管理下におくことが取り決められた。

その後、南北統一選挙などが計画されていたが米国、ソ連の思惑や政治体制の違いにより実施されることはなく、1948年この38度線の南に「大韓民国(韓国)」、北に「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」が建国されることとなった。

1950年半島統一を武力で成し遂げるため「北朝鮮」側が38度線を超え奇襲攻撃をすることで朝鮮半島が始まった。

始めは「北朝鮮」軍は半島の先端である釜山(プサン)まで進撃してきて、半島全域の武力占領まであと少しだったが、アメリカを中心とする国連軍が仁川(インチョン)に上陸し、今度は国連軍が北朝鮮を中国国境付近まで追いやった。

その後中国からも人民義勇軍が「北朝鮮」側について参加し、その後この戦争は血を血で洗うかのような凄惨な戦いが繰り広げられ、1953年まで続く。

1953年7月27日、連合国軍代表のアメリカ陸軍ウィリアム・ハリソン中将と、朝鮮人民軍及び中国人民志願軍の代表である南日(ナンイル)が署名した後、その後国連軍のクラーク総司令官中国人民志願軍の彭徳懐(ほう とくかい)総司令官朝鮮人民軍の金日成最高司令官の三人が署名することで、朝鮮戦争休戦協定が結ばれ、以後38度線を境に軍事境界線がひかれ朝鮮戦争は休戦となった。(現在もこの状態が継続されているため、戦争が終わったわけではなく、韓国と「北朝鮮」はまだ一応「戦争状態」である) 


その後の歴史はご存知の通り朝鮮半島北部は朝鮮民主主義人民共和国が、南は大韓民国が、38度線を境に対立することになる。


「北朝鮮」は帝国主義アメリカから朝鮮北部を取り返したということでこの朝鮮戦争を「祖国解放戦争」と呼んでおり、また休戦協定により社会主義体制を北半部において勝ち取ったという意味でこの戦争で「勝利」したとしている。

 この博物館は、その「祖国解放戦争」の「勝利」を「記念」した博物館なのだから、そのプロパガンダは徹底していた。


ここではさんざん朝鮮戦争に関するあらゆる展示物を見せられる羽目になるのだが、そこでは徹底的にアメリカが悪玉とされており、気味の悪いアメリカ兵の死体のジオラマなどがあった。


また1968年、「北朝鮮」の領海を侵したという理由で拿捕された米国の情報収集船プエブロ号も展示されており、この記念館はとにかく、「我々の敵はアメリカ合衆国である」ということを内外に示すために存在するかのようだった。


北朝鮮の建国以来の不倶戴天の敵は「アメリカ合衆国」なのである。 


この博物館にはその「北朝鮮」の意志が如実にあらわれている。

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