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忘れかけていたことを思い出す快感

耳かきやマッサージなど、日常にはささやかな快楽がたくさんあるけれど、中でも私は「言われるまで忘れていたことを思い出す瞬間」が好きだ。

ただの懐かしい話ではなく、言われるまで忘れていたワードを出されて、記憶を司る海馬がビリビリするあの瞬間。思わず「あー! あった、あった!」と手を叩き、大笑いしてしまう。思い出すことは快楽なのだ。

けれど、日常の中でその瞬間を味わう機会は少ない。

私は記憶力がいいので、友達や親が話す思い出はだいたい覚えている(むしろ相手が忘れていることのほうが多い)。もしくはすっかり忘れてしまっていて、言われても思い出せない。「言われて思い出す記憶」というのは、普段は思い出さないけど脳の片隅にかろうじて引っかかっている記憶なので、それをピンポイントで突かれる機会はそう多くはないのだ。

だからこそ、そういうことがあると嬉しくなってしまう。

夏に、埼玉に住む幼なじみのTと池袋でランチをした。

彼女とは小学校のバレーボール少年団でのチームメイトだ。強豪校だったので練習や試合が多く、3年間かなりの時間を共に過ごした。

しかし、Tは当時の記憶があまりないと言う。私が「こんなことあったよね」と言っても「そうだっけ?」とまるで覚えていないし、それどころか、チームメイトの名前も全員言えるかどうか危ういようだ。

「バレーボール少年団の記憶だけじゃなくて、子どもの頃の記憶全般が曖昧なんだよね。担任の先生が誰だったか、友達の誰と同じクラスだったかも覚えてないもん」

「まぁ、そういう人もいるよね」

相手の記憶がない以上、思い出話はできない。Tとはいつものように、彼女の子どもの話や今ハマっているコンテンツの話をした。

おしゃべりしているうちに、「私がラジオ好きだ」という話題になった。

「サキ、ラジオ好きなんだ。私はラジオ聴く習慣がないんだよね」

「中学生の頃、スパラン聴いてなかった?」

スパランとは『船守さちこのスーパーランキング』の略で、私たちが中学生の頃、北海道で放送されていたラジオ番組だ。ヒット曲が20位から1位までランキング形式で紹介される番組で、当時の中高生に大人気だった。私はもちろん毎日聴いていたし、クラスの子もほとんどがリスナーだったと思う。

「スパラン」という単語を耳にしたTは目を輝かせ、「懐かしい! あったね~。スパランは聴いてたわ」と言う。

そこからしばらく、スパランの話題に花を咲かせた。ほぼ記憶喪失のTと思い出話ができるのはめずらしいことで、私もテンションが上がる。

そのうち、Tはこんなことを言い出した。

「B'zの『LOVE PHANTOM』が20週連続1位で、記録を打ち立てたんだよね。私、1位を陥落した日の放送も聴いてたよ」

それを聞いてびっくりした。私は『LOVE PHANTOM』が20週連続1位を獲得したことを覚えていないのだ。私が覚えていないのに、Tが覚えているなんて……!

さらに、彼女はこう続けた。

「スパランでさ、11時11分に願いごとをするコーナーあったよね。1分間くらいヒーリングミュージックが流れて、その間、それぞれ願いごとをするの」

……!!!

海馬がビリビリするのを感じた。

Tの言葉を聞くまですっかり忘れていたが、たしかにそんなコーナーがあった。中学生の私は、毎晩ラジオの前で大真面目に願いごとをしていたものだ。

思い出した瞬間から、それが大切な思い出だったように感じる。なのに、どうして今まで忘れていたんだろう?

忘れかけていた記憶を思い出し、脳が喜んでいるように感じた。同時に、なんだか面白さが込み上げてきて、「よくそんなこと覚えてたね~!!」と手を叩いて大爆笑してしまった。Tも笑っている。何がそんなに面白いのかはうまく説明できないが、思い出すって面白いのだ。

あぁ、もっとこの快感がほしい。もっともっと、私が忘れかけていることを思い出させてほしい。

そう願うも、Tとのこの会話以来、忘れかけていることを思い出す体験はしていない。次にこの快楽と出会える瞬間を、私は心待ちにしている。


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