「下心があって近づいてる」と思われたくない
自意識過剰で、「人から○○だと思われる」をすぐに考えてしまう。
最近、自分でもちょっとキモチワルイと思うのは、SNSでwebメディア界隈の人の記事をシェアするとき、
「下心があって媚びてると思われるかもしれない」
と懸念してしまうこと。
たとえば、webメディアの編集長をしている人のnoteをたまたま読んで「この記事すてき!」と思っても、いざシェアしようとすると、
「待てよ、これをシェアしたら、『あわよくば仕事くれ』っていうアピールと受け取られるかもしれない」
と思ってしまい、やめたことがある。
万が一仕事をもらえたら嬉しいくせに、「別に下心があってシェアしようと思ったんじゃないもん! もしそう受け取られたら不本意!」とか、考えてしまうのだ。
わー、気持ちわるーい(人に言われる前に自分で言っておく)。
あと、いわゆるインフルエンサーや有名人のnoteをシェアできないのも同じような理由。
たとえば、毎朝読んでいる林伸次さんのnoteに感じ入ることがあっても、
「これをシェアすることで、林さん本人は純粋に喜んでくれたとしても、周りの人は『吉玉はcakesの帝王に媚びて自分の知名度を上げようとしている』と捉えるかもしれないな……」
とか思うと、シェアできない。
自分でも「これが本当に35歳の思考だろうか」とギョッとするほど自意識過剰だ。
誰も、私のことをそこまで気にしていないのに。
◇
とはいえ、いくら私でも四六時中「人からどう思われているか」を考えているわけではない。
日常の中で、人からどう思われるかを気にする頻度はだいぶ減った。
私の場合は、「性格の改善」や「大人になって経験を積んで生きやすくなった」とかいうことではない。
単純に、加齢とともに自意識が減退してきているのだ。石鹸が使い続けるとどんどん小さくなるような感じ。
だけど、前よりも小さくなったとはいえ石鹸は残っているわけで(もともとがデカ過ぎた)、人目を気にする頻度もゼロにはならない。
ときたま「下心があって近づいてると思われたくない」という気持ちが発動しては、今まさにシェアしようとしていた指を止める。
そして、そんな自分に舌打ちする。
いちいちめんどくせー女だな、と。
◇
こんな自意識過剰人間にとって、バレンタインデーは恐怖のイベントだ。
仕事絡みの人に対して、あげるにしてもあげないにしても、相手からどう思われるかが気になるのだ。
私は、義理チョコをほぼお歳暮や年賀状と同じニュアンスで捉えている。
だから、本来は仕事絡みの方にはお渡ししたい。日頃の感謝を伝えるツールとして。
だけど、それが「これからもお仕事振ってくださいね」という賄賂だと思われたらどうしよう……と思う。
賄賂にしてはチョコが安い。「こんなもんじゃ買収されねーよ」とか思われてたらどうしよう。かといって高価なものを差し上げたら、相手にお返しのことで気を遣わせてしまう。むしろ、「お返しを要求している」と思われてしまうかも……!
しかし、差し上げなかったら「気が利かない」と思われるかもしれない。気の利いたチョコを渡せる人と比較され、「吉玉は社会性とコミュニケーション能力に乏しい」と評価されるかもしれない。
……と、どっちに転んでもいろいろ考えすぎてしまい、正解がわからない。
そもそも「相手にとっての正解を探すようなコミュニケーション」をしてしまう時点で、私の人間性には大いに問題がある。
そういう思考って結局は、「相手がどう思うか」よりも「自分がどう思われるか」ばかりを気にしているのだから。
相手の気持ちを優先させているようで、実は自分の見え方にしか興味がないのだ。だけど、一見すると相手を慮ってる風に見える。なおさらたちが悪い。
自分大好きも自分大嫌いも、「目線がめっちゃ自分に向いてる」という点では同じ。
大人になるにつれて少しずつ目線が外に向いてきたような気がするけど、そんなポーズをとって自分を納得させているだけなのかもしれない。
本日cakesが更新されました。夫が「彼女ができて米が炊けなくなった」とネタにされた話とかです。
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