人見知りだけどそんなに困ってない
初対面の人と会うときすごく緊張するし、うまく話せない。
誰も私にうまく話すことを望んでないのだけど、「人見知りと思われたくない」という思いがあり、無理して人見知りじゃない人を演じようとしてしまう。
雨トーークの『気にしすぎ芸人』の回で、『人見知り芸人』との違いを聞かれた又吉さんが、
「僕たちは人見知りだと思われるのが嫌だから、必死に人見知りを隠すんです。オードリーの若林くんみたいに堂々と人見知りでいられる人が信じられない」
みたいなことを言っていたのだけど、私はまさにそっちだ。
演じきれたときは、演技とはいえ人見知りをしていないわけで、それはもはや「人見知り」とは呼べないと思う。しかし、だいたいの場面で演じきれない。最初はよくても、集中力を持続できないのだ。
先日も、初対面の編集さんとの打ち合わせで、「あからさまに緊張しておどおどしてる人」になってしまった。情けないし恥ずかしい。
そもそも、なぜ私は(そして又吉さんは)人見知りを隠したがるのか。
それはやっぱり、「大人たるもの、人見知りをすべきではない」という意識があるからだろうな。
「人見知りだと思われるのが恥ずかしい」という自意識もあるし、「相手に気を遣わせてしまうのが忍びない」という気持ちもある。
◇
けれど実際のところ、人見知りってそんなに困ることだろうか?
先日の打ち合わせは、編集さんが私に振りたい仕事を説明するためのものだ。
そりゃあ、私がおどおどしてないほうが向こうもやりやすいだろう。けれど、私がおどおどしていても、お互いにとってそこまでの支障はない。実際、打ち合わせの目的は果たせたわけだし。
ライターとして、人見知りが原因で仕事を切られたりしたことはない。人見知りじゃなかったらもっと仕事を得ているのかもしれないけど、少なくとも、失ったものはないはずだ。
山小屋時代もそう。私も含めて人見知りのスタッフはけっこういたけど、そのうち慣れるわけで、慣れてしまえば特に問題はない。
最低限の社会性(挨拶できるとか失礼な態度をとらないとか)があれば、人見知りでも、人間関係や業務に実害は出ないのだ。
今までいろんなコミュニティで人間関係のトラブルを見てきたけど(私も起こしてしまったことがあるけど)、その大半は、距離が近すぎるゆえに起こる齟齬だ。人見知りがトラブルの原因となった例は思い出せない。
むしろ、「ぜんぜん人見知りしないけど派閥作りがち」とか「最初から距離感近すぎて依存的」とか、そういう人のほうがよくトラブルを起こしている印象がある。
人見知りで困ることって、「新しい環境でみんなが馴染んでいくのを見てるのが寂しい」とか「人見知りじゃない人が羨ましい」とか、せいぜいそのくらいで、致命的なものではない。少なくとも、私の場合は。
◇
30代も半ばになると、すべての弱点を克服してやろうという気概はなくなる。お金とか健康とか、生きるために必要なことには工夫や努力を試みるけど、「人見知り」の克服はかなり後回しになる。
10年後の私は間違いなく、「人見知り? 食うに困らなきゃそんなもんどうでもいいわ」と言っていると思う。
私はこうして、少しずつ磨り減るようにあきらめていって、理想を追うことよりも「困らなければそれでいい」という価値観にシフトしていくだろう。
それを「鈍感になった」と思うか、「生きやすくなった」と思うかは、未来の私に任せようと思う。
あと3分なにか読みたい気分の方はこちらをどうぞ。人間関係の話です。
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