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話が盛り上がらない理由

何度会っても、会話がいまいち盛り上がらない友人がいる。

盛り上がらないが、彼女のことは好きだ。向こうもそう思ってくれているらしく、たびたびランチや飲みに誘ってくれる。今度、旅行に行く約束もした。楽しみ。

なのだが、いつ会っても盛り上がらない。彼女と会うときは毎回、「何を話そう?」と頭を悩ませる。お互いに空気が読めないほうではないので話題を振り合ったりするのだが、どの話題もいまいち膨らまず、毎回心から笑うことのないまま帰路に着く。

なぜなのだろう? とさっきシャンプーしながら考えていて、ちょっとした仮説を思いついたので忘れないうちに書き留めておく。なお、今はお風呂上がりのチューハイを飲みながらこれを書いているので、文章はめちゃくちゃになるかもしれない。

先日、小学校からの友人と久しぶりに会った。前述の友人とは別の人だ。仮にTとしよう。

池袋駅の構内を歩いていると、特設ワゴンが出ていて、肝油ドロップが売られていた。今風のおしゃれなパッケージの商品だ。

Tはそれを見て「肝油って何? なんか聞いたことはあるけど」と言った。

私はこう答えた。

「知らない? 『まんが道』で満賀道雄が先生から配られた肝油舐めて『アンマーイ!』って言うやつ。才野茂は似顔絵描く代わりに生徒から肝油もらって貯めてたんだよ」

『まんが道』とは藤子不二雄Aによる自伝的漫画だ。その中のワンシーンに肝油が登場する。私にとって肝油といえば『まんが道』だ。戦中か戦後まもなく、子どもの栄養を補助するために配られるものというイメージ。

Tは笑いながら「そんなシーンあったかも!」と言った。私はもうひとつ、肝油にまつわるエピソードを披露する。

「肝油といえばさ、うちの元夫が幼稚園児のとき、幼稚園バスの運転手さんが毎日肝油くれたって言ってた」

「うそでしょ! いつの時代よ!(笑)」

「だよね。運転手さん、退役軍人だったのかな」

「なんで退役軍人は肝油くれることになってんの?(笑)」

と、私とTは肝油だけで何ターンも会話が盛り上がった。その理由について考えてみる。

まず、私が最初に『まんが道』のたとえを出せたのは、「Tなら『まんが道』を読んでいるだろうな」と思ったからだ。けれど確証があったわけではない。彼女が『まんが道』を知らない可能性だってあった。

それでも私が口に出せたのは、「Tならもし『まんが道』を知らなかったとしても、『知らないよ(笑)』とツッコんでくれるだろうな」と思ったからだ。

Tなら話が通じるか、通じなくてもその通じなさをツッコんでくれるかのどっちかで、どちらにせよ気まずくならない。だから私は安心して『まんが道』のたとえを出した。

これが、T以外の相手だったらどうだろう?

「『まんが道』? ごめん、わかんないや……」

そう言われてしまう可能性は大いにある。別にそう言われてもいいのだけれど、会話が盛り上がるとは言えないだろう。

だから、私は最初から言わない。「言っても変な空気になるだろうな」と予測できるから、「肝油って何?」と聞かれても『まんが道』の話はしない。たぶん、「戦中か戦後まもなくに多く流通した、栄養を補助するサプリみたいなもの」とか答えるんじゃないか。その結果、この話題が盛り上がることはない。

また、私が元夫とバスの運転手さんのエピソードを出したのも、Tが「いつの時代よ!」とツッコんでくれることを見越してのことだった気がする。そのあとの退役軍人の発言も、Tのツッコミにかなり期待していた、と思う。

つまり、Tとの会話が盛り上がったのは、私の彼女に対する「彼女ならこのパスを拾ってくれるだろう」という信頼があったからではないか。

そして、冒頭の友人との会話がいまいち盛り上がらないのは、私が彼女を信頼しきってないからではないか。ボケたりふざけたりするチャンスがあっても、「でも、このボケは通じないかも……」と封印してしまうから、お互いに笑いが生まれないのでは。

人間性に対する信頼と、笑いに対する信頼は違う。私は友人の人間性を信頼しているから友達でいるが、笑いの面ではまだまだ信頼しきっていないのだろう。

もうすぐ、友人との旅行だ。

この旅行で、私は彼女がどんなパスも拾ってくれる前提でふざけてみようと思う。それでやっぱり気まずくなるか、何かが変わるかはわからない。やってみるまでだ。私の仮説が正しいとしたら、信頼できていないのは私のほうなのだから。

それでも盛り上がらなかったら、また新しい手立てを考えようと思う。








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